密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
「今日はふたり分あげるから飲んでみて! よかったら感想を聞かせてくれ」

私が感想を言えないでいるうちに、駒津屋のおじちゃんはシードルを三、四本紙袋に詰め、透真さんに渡した。

「どうもありがとうございます」
「こっちこそ、こないだコーヒーありがとな! うちの妻が喜んでたよ。あそこのコーヒー大好きだからさ」

一礼して受け取った透真さんが、駒津屋のおじちゃんの言葉にきょとんと目を丸くする。

「コーヒー?」
「バイトしてるカフェのコーヒー豆です。先日シードルをいただいたお礼に」
「ああ、そうか」

別居する前にカフェの仕事が決まったと話してあったので、私の説明に透真さんは納得のいった表情になった。

駒津屋を後にして、私たちは歩き出す。
なんだか無性に気まずくて、ありきたりな言葉たちは喉もとで止まり声にはならなかった。

黄昏色の風がふんわりと吹き、透真さんの前髪を揺らす。
その様子を横目でちらりと盗み見ていたとき。

「仕事は順調?」

不意に尋ねられ、私は焦ってうなずいた。

「そうか、よかった」
「今日はお休みなんです。透真さんはお仕事お忙しいのではないですか?」
「ああ、こんなに早く帰宅するのは本当に久しぶりだよ」

透真さんは暮れゆく空を見上げた。

弁護士業と家業の両方という激務は、私には想像もつかないほど忙しいのだろう。
まだ離婚届を提出していないのは無理もない。

けど、どうして駒津屋にいたのだろう……?

「いただいたシードル、一緒に飲まないか?」

実家の前にたどり着き、紙袋を目の高さに掲げた透真さんが私に向き合った。
けれども私は顔を強張らせ、まともに目を合わせることができない。始めは弱かった吐き気が、急に我慢できないほど強くなったのだ。

妊娠五週目でつわりが始まるのは早い方だとネットで見た。
空腹になるととにかく吐き気が強くなる。

「春香?」

浅い呼吸を繰り返し、なんとか嘔吐を飲み込もうとする私の顔を、透真さんは心配そうに覗き込んだ。

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