密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
それから数日経った頃。
つわりの症状は相変わらずだけれど、対応できてきたような気がする。さっぱりとした軽めの食事なら摂れるし、バイトは休まず出勤していた。

カフェでドリンクを担当していた私は、出来立ての品物を手にお客様に呼びかけた。

「お待たせいたしました、アイスコーヒーのお客さ……」

カウンター越しに一歩、私との距離を縮めた人物を見て、とたんに声がフェードアウトする。

相手は怒りをにじませる強張った形相を隠そうともせず、私がカウンターの上に置いたアイスコーヒーが浸ったカップを持ち上げた。
その握力がどれほど強いか、歪んだカップの具合から想像がつく。

睨み見る彼女を前にして、私は目を見開き静止した。

「まだ隠れて会ってたんですね、うちの主人と」

今にも爆発しそうな怒りを抑え、粛々と発したのはもう会うこともないと思っていた人物。

百瀬店長の奥さんだ。

『この不倫女! 慰謝料を払ってもらうわよ!』

記憶が蘇り、目の前が暗いセロファンに覆われたような錯覚に陥る。
私にとってはできることなら蓋をして、二度と開かないように鍵をかけておきたい記憶だったのに。

「終わるまで、外で待ってます」

奥さんが踵を返し目の前から去ってもなお、心拍数が激しい。

どうして……。

再び目の前に現れた彼女に、私はひどく動揺していた。

「君塚さん、もう上がりの時間だよね。お疲れ様」

いつも笑顔の店長が、「あれ?」体を硬直させる私の顔を覗き込んで心配そうに続ける。

「もしかして、体調悪い?」

店長には妊娠の件を伝えていた。
採用した早々、妊娠となると迷惑かと思ったけれど、結婚されてるから想定内だったよと温かく受け入れてくれた。
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