密かに出産するはずが、迎えにきた御曹司に情熱愛で囲い落とされました
下を向いた春香の声は、今にも消え入りそうだった。

「それが長年に渡って行われていたのでおそらく利益も結構あったと思います。さすがに度を越しているなと思い、それとなく話してみたのですが……」

否定され、しかも知られて都合が悪いから辞めさせるために百瀬の妻に不倫疑惑を吹聴したのか。悪質だ。
春香が職場を辞めてもなお百瀬の妻に告げ口するとは、葉山の春香に対する逆恨みは、根強く執着していたようだ。

百瀬の妻が訴えを起こして証拠を提出すれば、不倫をでっちあげたのは葉山だとバレるというのに、春香が慰謝料をすんなり払うと踏んでいたのか。

そんな粗忽な方法で陥れるなんて許せない……。
俺の心に怒りが湧き起こる。

「むしろこっちから名誉毀損で訴える」

ハンドルを握る両手に力がこもる。

「名誉毀損? そんなことできるのですか?」

俺の言葉に目をしばたたかせ、春香が首を傾げた。

「他人の不確かな情報を世間に公表したり、嫌がらせで事実無根のデマを流すなどの行為は、名誉毀損罪によって罰せられるおそれがあるんだよ」

刑法第二百三十条一項の名誉毀損には、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役もしくは禁錮または五十万円以下の罰金に処する、とある。
不倫でっちあげはそれにあたるだろう。

すぐにでも内容証明の作成に取りかかろうと意気込む俺の横で、春香はシートの背もたれに深く体を預け、ゆっくりと目を閉じた。

「いえ、もういいんです。私はもう、穏やかに過ごしたいです……」

気力のない声で言い、春香はまだ膨らんでいない腹部にそっと手をやる。

「そうだな」

春香の気持ちを尊重し、俺は彼女の髪を優しくなでた。

「透真さん、今日はありがとうございました。透真さんが私の隣にいてくださって、本当にうれしかったです」

こんなときでさえ、俺を気遣う春香の優しさに、胸が張り裂けそうだった。
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