彼岸様は恋したい。

幕間

極楽と地獄への道を通る川、三途。
三途の川には屋形船が浮かんで居り、今日も大量の死者が乗り込んで来る。
屋形船と云っても通常の物とは違い、二階建てとなっている。
極楽に送られる者は[天階]と呼ばれる上の階に座り、逆に地獄に堕ちる者は下の[悪階]と呼ばれる場所で鎖に繋がれるのだ。
[下階]の者は、[上階]へ行こうと必死に足掻く。
当然だ。誰だって地獄へは行きたくない。
しかし、それを阻むのが彼、彼岸と呼ばれる者の役割だった。
彼岸は閻魔大王直属の部下だ。
ただし鬼ではない。
彼は、極楽の生まれで有りながら地獄の鬼と同じ力を持つ者だった。
彼はその力で、上階に登ろうとする人間を引き摺り下ろす。
見た目は天界人同等に美しいが、その力は恐ろしい程暴力的で有り、何人も笑ったところを見た事が無いと云う。
そんな彼、彼岸には或る秘密が有った。
それは…

------------

地獄の最上層に位置する孤城…通称、閻魔城。
美しい和城で有るそこは、閻魔大王の仕事場兼御住まいである。
周囲一帯は年中狂い咲いている柳桜と藤で囲まれ、地獄とは思えない美しさ。
その巨大な城の廊下を、物音も立てず歩く長身の男がいた。
艶の或る黒髪は毛先に掛けて紅く染まり、長い前髪の下から覗く切長の瞳は輝羅と光る銀。非常に整った顔立ちだが、見事なまでに表情が消えている。
彼は[彼岸]。彼岸以外の名称は無い。
すらりとした佇まいの黒袴姿で、無表情に廊下を歩く彼岸。
長い廊下の先にある障子を開くと、短い角を持つ小鬼が、待ち構えて居たように素早く膝をついた。
「お彼岸様、お疲れ様で御座います」
恭しく首を垂れる子鬼。
「ああ」
頷いた彼岸に、小鬼は奥の障子を示す。
「閻魔様がお待ちです。本日は地獄の管理体制に杜撰なところがないか視察に行かれておりましたのでかなり疲れていらっしゃいます」
事前に言うという事は、暗に慰めろと云っているのだろう。
彼岸はもう一度頷き、小鬼に下がるよう言った。
そして、障子の前に正座する。
「彼岸です」
静かに言うと、少し間があってから「入れ」と聞こえた。
「失礼致します」
彼岸は障子に手をかけ、そっと開けた。
そして中に踏み入る。
そこは、実に不思議な空間であった。
辺り一面全てガラス張りで有りながら、床は畳。
和洋折衷とはよく言ったものだが、和洋と云うよりは古新折衷だ。
その広く開放的な空間の真ん中に閻魔様はいらっしゃった。
真っ白な長髪を背中に流し、全てを見通すような金色の目をした美しい彼は、沈丁花の花飾りを頭につけて、大量の書類に囲まれてうんざりした顔をして居た。
「閻魔様」
彼岸が声をかけると、閻魔様はハッとした様に顔を上げた。
「ああ、ご苦労だった」
威厳のある声で言った閻魔様は、次の瞬間眉を下げた。
「彼岸〜!助けてくれ…」
駄々っ子の様な表情で、じわりと涙を浮かべる閻魔様。
そして、立ち上がると彼岸に抱きついた。
「報告書が山積みなんだよぉ…今日一日視察に行っただけで普通こんな地獄みたいな量溜まると思う!?ふざけんな、全部裁くのは私なんだぞ!?何で人間はこんなに罪を犯すんだ!」
地獄の身体をガクガク揺さぶる閻魔様。
何時も無表情な筈の彼岸の表情が、ちょっと青くなる。
「…やめて下さい、吐きます」
彼岸は閻魔様の肩を掴むと、あらんばかりの力を込めて引き離した。
それでもベソをかいている閻魔様をみて、溜息をつく。
「地獄みたいなって…あんた地獄の王でしょう」
閻魔様をあんた呼ばわりする彼岸。
失礼以外何者でもない話だが、彼岸がこんな風になったのには理由があった。
この閻魔様、兎に角情けないのである。
閻魔様はその超然とした雰囲気で、多くの人に慕われ尊敬されている、が、一部の信用する側近にはその本性を曝け出して居る。
閻魔様の本性、それは……泣き虫。
仕事もでき、人望もあり、頭も良いが、いかんせん泣き虫は治らず。
今日も今日とて、閻魔様は泣きそうになって居た。
「見てよこれ!」
報告書類から一枚を取って彼岸に見せる閻魔様。
「この男は生前ガムを地面に捨てまくった罪で地獄行きだ。その数125個。…いや多すぎだろ!何でこんなにガム食ったんだよ!!つーか捨てるなよ!」
キレながら涙目になる閻魔様。
彼岸は「ハイハイ」と頷き、ごろんと横になった閻魔様の頭を撫でる。
「ええと…今日亡くなった方は614759人。その中で地獄に堕ちた人間は340591人です。また抵抗により、血の池から針山に移された人間は…」
閻魔様の頭を撫でながら今日の報告をする彼岸。
側から見たらかなり滑稽な絵面だが、彼岸は至って真面目だった。
「それから年々増えている人間の自殺について、罪と捉えるか否かで上級鬼と天童が口論しているそうで…閻魔様、どうされるか決定された方が宜しいかと」
基本的に、罪か否かを決める決定権は閻魔様にある。天の仏様は罪人が罪を清算し終わったら手を差し伸べると云う形でのみ、地獄に介入する。
閻魔様は溜息を吐いた。
そして身を起こすと、懐から黒い半紙を取り出した。
「時と場合による。余程の理由…つまり人間共の世界が崩壊して絶望した、ぐらいの理由でないと全部罪だ。ああ、でも、虐めや虐待等の理由での自殺は虐めや虐待を行った人間が殺人者になる方向で」
言いながら黒い半紙に赤いインクでサラサラと書く閻魔様。
「閻魔様…後半の案には賛成致しますが、前半は恐らく当分起きませんよ」
冷や汗をかく彼岸。
閻魔様はたまにこんな事がある。
普段は合理的なのだが、疲れるとめちゃくちゃなことを言い出したりするのだ。
まぁ彼岸には基本関係のない事なので、大体はスルーしてしまうのだが。
「さて、報告も終わりましたし…俺は戻りますよ」
冷や汗を拭い、元の無表情に戻った彼岸は身を翻した。
その瞬間、閻魔様が云う。
「彼岸…君の役職は副職禁止だよ」
先程までとは打って変わって、余りにも冷え切ったその声に、背中に冷や水を流し込まれたような感覚に陥る彼岸。
否定する事もできず、かと言って肯定すると後が怖い。
「…何の話でしょうね」
彼岸は振り返らずにそう云い、閻魔様の突き刺す様な視線を受けながら、今度こそ部屋を後にした。

------------
< 1 / 3 >

この作品をシェア

pagetop