*触れられた頬* ―冬―
 教えられた住所は、八十年以上の歴史を持つ世界最大級の人形劇場から、少し北へ進んだ先、ニクーリンからも徒歩十分程度の通りに面した建物だった。

 石造りを綺麗な黄色に染め上げた外壁が、真白い雪景色に温かく映える。

 四角い六階建てに小さめの長細い窓が幾つも並び、おそらく数十世帯が暮らしているように思われた。

「此処か……?」

 正面口から扉の中に入り、階段横の郵便受けで名前を確認した。

 ロシア語で書いてあるのでモモには分からないが、最上階の三号室に視線を合わせた凪徒が、住所のメモと見比べて、小さくその名を(つぶや)いた。

「ツバキ・オルロフ……きっとおじいさんの苗字なんだろうな」

「オル、ロ、フ」

 モモも神妙に一言一言噛み締めて繰り返す。

 そして凪徒には、記憶の断片にその名が(かす)かに現れた。

 オルロフ──記憶違いでなければ、それは──。

「特にインターフォンとかなさそうだな。……エレベータがある。──行こう」

 モモは無言で(うなず)き、雪を払ったコートを(まと)う広い背を追った。

 六階に到着し、出た先を右へ歩いてすぐが六〇三号室だった。

 扉横のブザーを押す凪徒の後ろに隠れるように、息を殺して応答を待つ。

 しばらくして内側から鍵を開ける物音と、(わず)かに扉の動いた隙間から漂うぬくもりのある空気に、モモは思わず息を呑んだ。


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