冬の月 【短編】
だけど僕は今のこの状況に不満があるわけではなかった。
僕のお客さんは、栞ただ一人…でも彼女はいつも真剣に聴いてくれてるし、曲の終りには小さな拍手もくれる。
それに僕がここで唄う一番の理由は「唄うことが好き」だったから…。
でも路上で唄い続けている以上、少しづつ僕にも欲が出てきていた。
人気のある路上ミュージシャンが、たくさんのお客さんに囲まれているのを見ると羨ましく思うのだ。
だから友達からその話を聞いた時、僕は迷わずその誘いを引き受けようと思った。
実際、唄ってくれる人を探そうと思った時もあったのだから…彼なら人気も実力も申し分ない。
彼とならもしかすると…という考えが浮かんできたのだ。
でも、よく考えていくと僕の中に少しずつ迷いが出てきた。
ユニットとして活動していくとなると、これまで一人でやってきた自分の曲が当然もう唄えなくなる。
いつも栞に聴いてもらっていた曲が唄えなくなる。
僕が一番気がかりだったのはそのことだった。
だから僕はこの話を誰よりも先に、まず彼女に話すことにした。
でも、おそらく彼女の答えは「YES」だ。
確かに以前、彼女に相談した時は「NO」だったが、今回は状況が違う。
僕は、僕のギターの実力を見込まれたからこそ、彼に誘われた。
僕から誘ったのではない。
そう考えれば、これはマイナスの話ではなく、プラスの話なのだ。
それに、僕と栞の距離はあの時よりもずっと近くて、それはもう「友達」と言ってもいいくらい親しくなっていたからだった。