冬の月 【短編】
僕がはっきりとそのことに気付き始めたのは、彼女と初めて会った日からちょうど一年と半年くらいが過ぎた秋頃のことだった。
そのことというのは、僕が栞のことをただの「聞き手」ではなく「一人の女性」として意識し始めたことだ。
元々一人っ子で、どちらかというと社交的ではない両親の下で育った僕は、人との交流というものが何よりも苦手だった。
それでも僕は、僕の唄を聴いてくれる彼女とはなるべく会話をしようと努力していた。
僕自身がそんな努力をしたのは、これが初めてだったような気がする。
それ以前の記憶にはない。
そして、それは今までしてきたどんな努力よりも遙かに上回っていた。
そこまでして僕に努力をさせる理由が僕自身の中にあった。
「僕の唄を真剣に聴いてくれる、たった一人のお客さん」
僕はそれを失いたくなかった。
彼女がここに来なくなれば、僕はまた一人で寂しく唄う「路上ミュージシャン」に戻ってしまう……。
初めはただそれだけだった。
でもそれは、寂しがり屋の僕にとっては十分過ぎるほど大きな理由になっていた。