冬の月 【短編】
それからしばらく、僕は栞が居なくなった階段に一人座っていた。
確かに今日が、一人路上最後の日だということを彼女に伝えていなかったのはいけなかった。
栞はいつも当たり前のように来てくれていて、この場所でプライベートの話から、悩み事があればそのことも聞いてくれたし、相談もしてくれた。
でも、僕と彼女の関係はあくまで「聞き手」と「歌い手」なのだ。
ならば彼女が「僕のお客さん」である以上、今日が最後だという報告はしておかなければいけなかった。
きっと彼女はそのことに対してあんな態度を見せたのだ。
僕は自分の彼女に対する気持ちだけを優先して、彼女にそのことを伝えることが出来なかった。
僕たちはどれだけお互いのことを知りあっても、男と女としてどう思っているのかという感情には一度も触れたことがなかった。
だから僕の思いは"片思い"という形で彼女に向けられていた。
どれだけ寒くて辛くても、誰一人立ち止まらなくても、僕がここに来て唄う理由は彼女にあった。
下手でも唄うことが好きな僕の唄を聴いてくれて小さな拍手をくれる…そんな栞がいるから…
だから僕はここに来て唄い続けていたのだ。
ユニットになって僕がもう唄わなくなったら…栞はもう来なくなるのだろうか…。
彼女が僕の唄が好きでここに来ていたのならば、それは当然のことだ…。
この時、僕は彼女との距離が、自分が思っている以上に近くなかったことを知った。
それは彼女の言葉を聞いて…やっと大きな誤まりに気付かされたのだ。
それと同時に僕は、もう一つ気付かされた。
それはつまり、栞は僕と同じ感情を僕に対して持っていないということだ…。
ならば僕は…春樹と組んで音楽に専念する。
いくら好きで唄っていても誰も聴いてくれないくらいなら…そんな意味のないことはもうやめて、周りが認めてくれる僕のギターをもっと練習して、彼と一緒にプロを目指していく…。
そう決意して見上げた夜空は青白く、満月の光が雲の影を映しだしていた。
やがて流れだした雲に隠れた月は、その姿を隠しても…それでも強い光を夜空に放っていた。