冬の月 【短編】
僕は駅の改札を出て、すぐ左手にある駅出入り口のそばを路上場所に決めた。
そこに決めた理由はただ一つだった。
僕が唄う場所から5メートル程先に、別の道に続く階段があったからだ。
唄う場所が決まってからの僕は、毎日夜7時から9時までそこで路上をやり続けた。
でも、誰一人として僕の唄を聴いて立ち止まる人はいなかった。
それは春樹が言ったとおりの結果だった。
そのことで僕は寂しさも辛さも感じていなかった。
ただ唄うことが楽しくて仕方なかった。
そして、僕が路上で唄う曲目の半分は、栞との共同作「冬の月」だった。
だけど唄い終わってふと顔を上げ、5メートル先にある小さな階段に栞の姿がないことを実感した時だけは…その時だけの寂しさと辛さがあった。
*
そして、その生活はひと夏と秋を越え、季節はまた冬を迎えた。
その日はいつも以上に寒く、駅から時折吹き抜ける冷たい風が体を何度も硬直させた。
それでも僕は唄い続けた。
栞に僕の唄をもう一度届けたい。
君が書いてくれた「冬の月」はこんなにいい曲に仕上がってるよ…って。
僕は唄うことが好きだ。
そのことを僕よりもわかってくれていた君にもう一度届けたい。
唄うことは楽しい。
楽しいよ。
でも…
でもね…
君が居ないと…
誰にも拍手が貰えないんだ…。
だから…
だから僕はもう一度…
栞に唄を届けたい…。