冬の月 【短編】
―僕と目が合うと彼女はいつも優しい笑顔で返してくれる。
そこに言葉はないのだけれど、僕にとってはかけがえのない瞬間であり、それがどれだけ僕の心に希望と安らぎを与えてくれていたことか…。
きっと彼女はその事実を知らない。
今も知らない…。
*
僕が唄っていた場所から5メートル程離れた狭い階段に、彼女は申し訳なさそうに座って小さな拍手をしてくれていた。
僕はギターをケースに仕舞い、立ち上がり、そんな彼女の元に歩み寄った。
目は逸らさなかった。
僕は彼女の方を見ながらゆっくりと近づいていった。
やがて僕と彼女の距離が1メートルくらいになったところで、彼女は口を開いた。
「どうして?」
僕は足を止めた。
『栞ちゃんの友達に聞いたんだ。ここが栞ちゃんの田舎だってことをね』
彼女は一度自分の中で区切りをつけたように小さく息を吐いた。
そして「そうじゃなくて」と続けた。
「どうして一人で唄ってるんですか?…”ハルヒト”は?」
『解散したんだ』
「解…散?」
栞は目を少し見開き驚いた表情を見せた。
僕は「うん」と頷きながらそんな彼女の隣に座った。
『だって…僕はやっぱり唄うことが好きだから』
栞の返事はなかった。
ただすぐ傍にある彼女の体が少し震えているのがわかった。
駅の方から強い風が吹き抜け、僕が最後に見た時よりも伸びた彼女の髪がなびいた。