冬の月 【短編】


―僕と目が合うと彼女はいつも優しい笑顔で返してくれる。

そこに言葉はないのだけれど、僕にとってはかけがえのない瞬間であり、それがどれだけ僕の心に希望と安らぎを与えてくれていたことか…。


きっと彼女はその事実を知らない。


今も知らない…。




*




僕が唄っていた場所から5メートル程離れた狭い階段に、彼女は申し訳なさそうに座って小さな拍手をしてくれていた。

僕はギターをケースに仕舞い、立ち上がり、そんな彼女の元に歩み寄った。

目は逸らさなかった。

僕は彼女の方を見ながらゆっくりと近づいていった。

やがて僕と彼女の距離が1メートルくらいになったところで、彼女は口を開いた。


「どうして?」


僕は足を止めた。


『栞ちゃんの友達に聞いたんだ。ここが栞ちゃんの田舎だってことをね』


彼女は一度自分の中で区切りをつけたように小さく息を吐いた。

そして「そうじゃなくて」と続けた。


「どうして一人で唄ってるんですか?…”ハルヒト”は?」


『解散したんだ』


「解…散?」


栞は目を少し見開き驚いた表情を見せた。

僕は「うん」と頷きながらそんな彼女の隣に座った。


『だって…僕はやっぱり唄うことが好きだから』


栞の返事はなかった。

ただすぐ傍にある彼女の体が少し震えているのがわかった。

駅の方から強い風が吹き抜け、僕が最後に見た時よりも伸びた彼女の髪がなびいた。



< 47 / 51 >

この作品をシェア

pagetop