この婚約、なかったことにしてくださいっ!!
目の前でA4用紙の紙がビリビリと破られた。
「ちょ、なっ……! 何するんですか!」
わたしは驚愕に目を見開いて、真っ二つに破られた紙と、そして目の前に座る男を凝視する。
彼が今破ったのは、わたしがワードを駆使して作った一枚の書類。許嫁解消同意書と書かれたそれを、彼は一読するなり無言で破りさった。
「結婚願望があるなら、俺でいいかと思って」
目の前の男はにこりと笑った。
余裕そうな、年上感満載な微笑みがムカつく。わたしは頬を引くつかせた。
「人並みの結婚願望はありますが、そもそも前提が間違ってます。わたしたち、付き合ってませんよね?」
わたしの低い声が店内に這う。
寿司カウンターを併設して、レジのちかくには招き猫。和風レストランでわたしはつい今しがたまできつねうどんを食べていた。
隣に座る男女は寿司と白ワインが並んだテーブルに向かい合わせで座って、ドイツ語で談笑している。
そう、ここは日本ではない。ドイツなのだ。成田から直行便で十二時間半ほどかけて到着した、ドイツの都市、フランクフルト。
異国の地で、わたしは幼なじみの男を睨みつけている。
「でも、俺たち婚約者だよね」
「お互いの祖父母世代が盛り上がって口約束しただけの関係じゃないですか! わたしたちに恋愛感情なんてありませんっ」
「あのね、サヤちゃん。結婚と恋愛は別だよ。そういうこと言ってると行き遅れるよ」
「とにかく、あなたと婚約解消するためにドイツまでやって来たんだから、さっさと同意しなさいよぉぉ!」
わたしは、ダンっとテーブルを叩いた。
* *
わたし、逢坂沙綾はこの春会社を辞めた。
新卒で入社をしたIT系企業で働くこと数年。二十六歳になるこの年、わたしは会社の洗脳から解けたというか、このままこの会社にいたら潰される未来しかないかも、ということに気が付いて逃げ出した。
辞めるまでに三カ月ほど要したけれど、渋る上司に「ドイツに住む婚約者のもとに行きます」と言って辞表を受諾させた。
まあ、嘘は言っていない。ただし、会いに行くといってもいよいよ結婚する、というわけでもない。
むしろ、その逆。親族が意気投合して勝手に婚約者ということにさせられた、この不毛な関係を終わらせるために、彼に会いに行くことにした。
ゴールデンウイークが終わり、人々が日常生活に舞い戻るころ、わたしは単身フランクフルト行の飛行機に飛び乗った。
機内映画を三本くらい観て機内食を食べてうとうと眠って、それにも飽きたという頃、ようやく私の乗る飛行機はドイツのフランクフルトへ無事着陸を果たした。
「ああ、いたサヤちゃん」
入国手続きを無事終えて、スーツケースをピックアップして、入国ロビーへと続く自動ドアをくぐったわたしの耳が日本語を拾った。
黒髪の男性が近寄ってくる。
平均的な日本人男性よりも高い背は、ぎり百八十センチには届かなかったと昔皮肉気に言っていたのを思い出す。
すっと通った鼻梁に薄い唇。長くもなく短くもない黒髪をスタイリング剤で無造作に整えている。仕事を休んでいるためか、ジャケットにシャツというカジュアルな格好がまた妙に様になっている。内心数年ぶりに会うのだし老けているかも、と思っていたのだがまったくそんな気配はない。
「蓮見さん、お久しぶりです」
わたしは大人の女性らしく丁寧にお辞儀をした。
二人きりで会うのは何年ぶり……もしかしたら、大人になってからは初めてかもしれない。
久しぶりに会うのに、相変わらず洗練されていて、わたしは急に落ち着かなくなった。
「ちょ、なっ……! 何するんですか!」
わたしは驚愕に目を見開いて、真っ二つに破られた紙と、そして目の前に座る男を凝視する。
彼が今破ったのは、わたしがワードを駆使して作った一枚の書類。許嫁解消同意書と書かれたそれを、彼は一読するなり無言で破りさった。
「結婚願望があるなら、俺でいいかと思って」
目の前の男はにこりと笑った。
余裕そうな、年上感満載な微笑みがムカつく。わたしは頬を引くつかせた。
「人並みの結婚願望はありますが、そもそも前提が間違ってます。わたしたち、付き合ってませんよね?」
わたしの低い声が店内に這う。
寿司カウンターを併設して、レジのちかくには招き猫。和風レストランでわたしはつい今しがたまできつねうどんを食べていた。
隣に座る男女は寿司と白ワインが並んだテーブルに向かい合わせで座って、ドイツ語で談笑している。
そう、ここは日本ではない。ドイツなのだ。成田から直行便で十二時間半ほどかけて到着した、ドイツの都市、フランクフルト。
異国の地で、わたしは幼なじみの男を睨みつけている。
「でも、俺たち婚約者だよね」
「お互いの祖父母世代が盛り上がって口約束しただけの関係じゃないですか! わたしたちに恋愛感情なんてありませんっ」
「あのね、サヤちゃん。結婚と恋愛は別だよ。そういうこと言ってると行き遅れるよ」
「とにかく、あなたと婚約解消するためにドイツまでやって来たんだから、さっさと同意しなさいよぉぉ!」
わたしは、ダンっとテーブルを叩いた。
* *
わたし、逢坂沙綾はこの春会社を辞めた。
新卒で入社をしたIT系企業で働くこと数年。二十六歳になるこの年、わたしは会社の洗脳から解けたというか、このままこの会社にいたら潰される未来しかないかも、ということに気が付いて逃げ出した。
辞めるまでに三カ月ほど要したけれど、渋る上司に「ドイツに住む婚約者のもとに行きます」と言って辞表を受諾させた。
まあ、嘘は言っていない。ただし、会いに行くといってもいよいよ結婚する、というわけでもない。
むしろ、その逆。親族が意気投合して勝手に婚約者ということにさせられた、この不毛な関係を終わらせるために、彼に会いに行くことにした。
ゴールデンウイークが終わり、人々が日常生活に舞い戻るころ、わたしは単身フランクフルト行の飛行機に飛び乗った。
機内映画を三本くらい観て機内食を食べてうとうと眠って、それにも飽きたという頃、ようやく私の乗る飛行機はドイツのフランクフルトへ無事着陸を果たした。
「ああ、いたサヤちゃん」
入国手続きを無事終えて、スーツケースをピックアップして、入国ロビーへと続く自動ドアをくぐったわたしの耳が日本語を拾った。
黒髪の男性が近寄ってくる。
平均的な日本人男性よりも高い背は、ぎり百八十センチには届かなかったと昔皮肉気に言っていたのを思い出す。
すっと通った鼻梁に薄い唇。長くもなく短くもない黒髪をスタイリング剤で無造作に整えている。仕事を休んでいるためか、ジャケットにシャツというカジュアルな格好がまた妙に様になっている。内心数年ぶりに会うのだし老けているかも、と思っていたのだがまったくそんな気配はない。
「蓮見さん、お久しぶりです」
わたしは大人の女性らしく丁寧にお辞儀をした。
二人きりで会うのは何年ぶり……もしかしたら、大人になってからは初めてかもしれない。
久しぶりに会うのに、相変わらず洗練されていて、わたしは急に落ち着かなくなった。
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