この婚約、なかったことにしてくださいっ!!
「昔みたいに名前で呼んでくれていいのに」
急に緊張してきたわたしと違って彼、蓮見駿人さんは涼しい顔をしている。
「勝手知ったる古なじみなんだし」
彼はさらに言葉を重ねた。
「……じゃあ駿人さんで」
名前を口に乗せると、胸の奥がほんの少しだけざわついた。べつに、この年になってここまで初心でも無いはずなのに。もしかすると、これから彼に言うべき事柄のせいで、少しセンシティブになっているらしい。
「学生の時は駿人って呼び捨てだったのに。その前は駿人お兄ちゃんだったね」
「社会人になって、年上の相手に呼び捨てはちょっと……」
「最後に会ったのはおととしの年始だっけ?」
「たしか去年、いえ今年の年末年始は駿人さん帰って来なかったのでそうだと思います」
「あれ、責められている?」
「いいえ。別に」
二人の間に沈黙が降りた。
次に口を開いたのは駿人さんの方。
「飛行機疲れただろ。眠れた?」
「ま、まあ……」
と、ここでわたしははたと気が付いて顔を下に向けた。
何しろ、乾燥した機内に十二時間半もいたのだ。軽くメイク直しをしたとはいっても、すっぴんに近いナチュラルメークだ。
それに、快適さ重視で選んだ本日の服装はネイビーのロングワンピース。その上にオフホワイトのカーディガンを羽織るというラフすぎるかっこう。
今更ながらにわたしは、羞恥に顔を赤らめた。もう少しおしゃれに気遣えばよかった。
いや、こいつに会うのに気合など入れる必要は無いと判断したのは過去のわたしだ。
駿人さんはわたしの心情など気にするそぶりも見せずに、さりげなくスーツケースを奪って歩き出した。
勝手知ったるという風に入国ロビーをすたすたと歩きだす。
わたしも慌てて彼を追う。
到着したのは電車の線路だった。改札も無しに、ホームに降り立ったわたしに、彼が切符を手渡してくれた。
「検閲官、回ってきて切符持ってなかったら罰金だからね。無くさないように」
「慣れてますね」
「ま、かれこれ五年目だしね。ああ、あと敬語はいらないよ」
「でも」
一応年上だし、と承諾を躊躇っていると電車到着のアナウンスが響いた。
そこで会話が途切れてしまう。
ホームに入ってきた電車は一部が二階建てになっていて、当たり前だけど車内アナウンスも掲示されている路線図もドイツ語で。
改めて異国に来たのだと実感した。
ちらりと駿人さんを盗み見る。カジュアルダウンした格好だが、妙にドイツに馴染んでいる。なんだか悔しくてわたしは彼から視線を外した。
* *
無事にホテルに到着をしたわたしはチェックインを済ませた。
彼は律儀にもわたしの泊まるホテルまで送ってくれて、夕食を一緒に取らないかと誘ってきた。
「と、そのまえにシムカードをこっちのにしたくて」
空港では彼のペースで全部進んでしまったため、真っ先にしようと思っていたことができずにいた。
駿人さんはわたしの主張を聞いて、あっという間にシムカードを交換してくれた。ホテル近くの携帯ショップへ連れて行ってくれて必要なことを全部してくれた。
店から出て、彼はわたしを見下ろした。
「で、夕食どうする? 腹減ってる?」
「機内食を食べてきたので、そこまでお腹が空いているわけでもないような気がします」
「他人行儀だね。もっと砕けた喋り方でいいのに。昔は普通にため口だったでしょ」
「何年前の話ですか」
「サヤちゃんがまだ学生の頃」
急に緊張してきたわたしと違って彼、蓮見駿人さんは涼しい顔をしている。
「勝手知ったる古なじみなんだし」
彼はさらに言葉を重ねた。
「……じゃあ駿人さんで」
名前を口に乗せると、胸の奥がほんの少しだけざわついた。べつに、この年になってここまで初心でも無いはずなのに。もしかすると、これから彼に言うべき事柄のせいで、少しセンシティブになっているらしい。
「学生の時は駿人って呼び捨てだったのに。その前は駿人お兄ちゃんだったね」
「社会人になって、年上の相手に呼び捨てはちょっと……」
「最後に会ったのはおととしの年始だっけ?」
「たしか去年、いえ今年の年末年始は駿人さん帰って来なかったのでそうだと思います」
「あれ、責められている?」
「いいえ。別に」
二人の間に沈黙が降りた。
次に口を開いたのは駿人さんの方。
「飛行機疲れただろ。眠れた?」
「ま、まあ……」
と、ここでわたしははたと気が付いて顔を下に向けた。
何しろ、乾燥した機内に十二時間半もいたのだ。軽くメイク直しをしたとはいっても、すっぴんに近いナチュラルメークだ。
それに、快適さ重視で選んだ本日の服装はネイビーのロングワンピース。その上にオフホワイトのカーディガンを羽織るというラフすぎるかっこう。
今更ながらにわたしは、羞恥に顔を赤らめた。もう少しおしゃれに気遣えばよかった。
いや、こいつに会うのに気合など入れる必要は無いと判断したのは過去のわたしだ。
駿人さんはわたしの心情など気にするそぶりも見せずに、さりげなくスーツケースを奪って歩き出した。
勝手知ったるという風に入国ロビーをすたすたと歩きだす。
わたしも慌てて彼を追う。
到着したのは電車の線路だった。改札も無しに、ホームに降り立ったわたしに、彼が切符を手渡してくれた。
「検閲官、回ってきて切符持ってなかったら罰金だからね。無くさないように」
「慣れてますね」
「ま、かれこれ五年目だしね。ああ、あと敬語はいらないよ」
「でも」
一応年上だし、と承諾を躊躇っていると電車到着のアナウンスが響いた。
そこで会話が途切れてしまう。
ホームに入ってきた電車は一部が二階建てになっていて、当たり前だけど車内アナウンスも掲示されている路線図もドイツ語で。
改めて異国に来たのだと実感した。
ちらりと駿人さんを盗み見る。カジュアルダウンした格好だが、妙にドイツに馴染んでいる。なんだか悔しくてわたしは彼から視線を外した。
* *
無事にホテルに到着をしたわたしはチェックインを済ませた。
彼は律儀にもわたしの泊まるホテルまで送ってくれて、夕食を一緒に取らないかと誘ってきた。
「と、そのまえにシムカードをこっちのにしたくて」
空港では彼のペースで全部進んでしまったため、真っ先にしようと思っていたことができずにいた。
駿人さんはわたしの主張を聞いて、あっという間にシムカードを交換してくれた。ホテル近くの携帯ショップへ連れて行ってくれて必要なことを全部してくれた。
店から出て、彼はわたしを見下ろした。
「で、夕食どうする? 腹減ってる?」
「機内食を食べてきたので、そこまでお腹が空いているわけでもないような気がします」
「他人行儀だね。もっと砕けた喋り方でいいのに。昔は普通にため口だったでしょ」
「何年前の話ですか」
「サヤちゃんがまだ学生の頃」