手を伸ばせば、瑠璃色の月
カチャリ……
そして、父が帰宅した事を示すドアの開閉音が玄関先から聞こえてきたのは、部屋着に着替えた私と宿題を途中で放棄した岳が、ソファーに座りながらテレビを鑑賞している時だった。
「…来た」
父のことになると反射神経が良くなる岳が、瞬時にテレビの音量を小さくする。
母は洗い物をする手を止め、私はそっと目を瞑った。
リビング内には静寂に近い沈黙が流れ、一瞬にして空気がピンと張り詰めたのが分かった。
自分の顔から血の気が引き、手足の末端から瞬く間に熱が奪われていくのが感じられる。
…父が帰宅する度に空気が重くなる家庭はきっと、この家だけだろう。
遠くからは犬の鳴き声と共に子供達の朗らかな笑い声が聞こえてくるのに、私の心は晴れることを知らない。
だって、
「うるせえな…。帰ったぞ」
父が、幸せに満ちあふれた日常のあらゆる音を”騒音”と捉えてしまうことが分かりきっていたから。
「おかえり、父さん」
「おかえりなさい、あなた」
スーツ姿の父がリビングに姿を見せた瞬間から、私達を取り巻く空気はある意味で一変した。
短く息をついた岳は不自然な程に満面の笑みを貼り付けて父の機嫌をとり、母はわざとらしくフライパンを火に掛けながら声を張り上げる。