桜新町ワンルーム
焦がれて、離れて、恋をした
ドイツ出身の思想家、フリードリヒ・ニーチェはこんな言葉を残している。
〝人間が恋をしているときは、他のいかなるときよりも我慢強くなる。そして、ほとんどすべてのことを受け入れられる〟
半蔵門線直通、東急田園都市線沿いにある桜新町。都内に比べると娯楽施設はないけれど、そのぶん家賃は低め。映画館はなくてもツタヤがある。タリーズもマックもミスドもココイチもあるこの町の住み心地はとても快適だ。
「三加、準備できたよ」
「うん、ありがとう」
おそろいのお皿の上に出したのは、近所のケーキ屋で買った四万十地栗のモンブラン。彼が用意してくれたダークモカチップフラペチーノは、コーヒー多め、ホイップ抜きのカスタム。ほろ苦いフラペチーノと甘いモンブランの相性は抜群に良くて、この組み合わせを発見した時は、彼とハイタッチを交わしたほどに感動した。
私たちはふたりがけのソファに背中を預けて、壁を見る。学生時代からの友達、敦子の結婚式の二次会で当たった小型のプロジェクターが、薄暗い部屋で光っていた。
壁に映し出されたのは『アバウト・タイム』という洋画だった。この映画の主人公はタイムトラベルの能力を持っていて、その力を通して幸せとはなんなのかを考えていくストーリーだ。
台詞さえも覚えてしまっているほど大好きな映画を観ながら、スタバのカップを口に付ける。手に取るタイミング、飲むタイミング、テーブルに戻すタイミングも、まるで息を合わせたように彼と同じだ。
映画が進む。主人公が父親から一族の秘密として、タイムトラベルの能力があることを伝えられるシーンで、必ず彼はいつもこの台詞を言う。
「三加は過去に戻れたら、なにがしたい?」
私は自分の不注意でインコを逃がしてしまった幼いあの日に戻って、家の窓を閉めたい。暗黒期だった高校時代をやり直すために、受験先を変えたい。喧嘩したまま天国に行ってしまったお父さんと再会して、仲直りがしたい。私が辿ってきた人生は、後悔ばかりだ。
けれど、暗い場所で拳を握って戻りたい場面を念じても、映画のように過去に戻ることはできない。続けて、彼が言う。
「過去に戻れたら、俺たちはまた付き合うと思う?」
だから私は聞き返す。
「誠二は、私が彼女で幸せだった?」
彼と出逢ったのは、大型の野外音楽イベント、いわゆる夏フェスだった。人混みが苦手な私は、当然そういう類いのイベントには参加したことがなく、その時も敦子に無理やり誘われて乗り気ではなかった。
一日中、爆音の会場で音楽を聞き、足が棒になるほど歩き倒したフェス終わり。フジロックと書かれたタオルを首から外せないほど、私はフェスにどっぷりハマっていた。
「俺たち隣の駅まで歩くんですけど、一緒にどうですか?」
男子ふたり組に声をかけられたのは、フェス参加者で混雑しているバス停に並び、ちょうど敦子とタクシーを拾うかどうか相談していた時だった。
私と敦子は息を合わせたように、顔を見合わせる。冷めきらないフェスの余韻も相まって、私たちは二つ返事でバスの列を抜けた。
他にも女の子はいたのに、どうして私たちに声をかけたのか、のちに誠二に聞いたことがある。
彼は可愛かったからだと、率直に答えた。私たちが受け入れたのも、誠二たちの顔が良かったからだった。
隣の駅までの道のりは、自然と二対二になった。思えば、これが運命の振り分けだったように思う。
敦子たちの後方を歩く形で、私と誠二は肩を並べた。まずはお互いの自己紹介をして、あとはひたすらフェスの話をした。
あの曲が良かった。あのアーティストは、もっと売れるべき。時には敬い、時には偉そうに評価しながらも、アドレナリンが出まくっている私たちの喋りは途切れなかった。
来年は一緒に回りましょう。その前に他のフェスには行きますか?秋にも色々と野外フェスがあるみたいですよ。そんな会話から住んでいる場所や学校のことを共有して、自然な流れでラインも交換した。それがお互い二十歳になったばかりの夏のこと。
それからすぐに四人でご飯を食べにいって、カラオケで夜通し歌って、コンビニでアルコールを買い込んで、河川敷で飲み明かした日もあった。楽しかった。遅れてやってきた青春のように。
敦子は誠二の友達、早瀬くんと付き合いはじめた。敦子は見るたびに彼氏が変わっているほど、移り気の多い女の子で、早瀬くんも同じタイプの男子だった。
私と誠二は友達関係を続けながら、ふたりで遊びにいくことも増えていたある日。「俺の彼女になってください!」と告白された。それは渋谷の道玄坂にあるカレー屋にいた時だった。
異国漂うスパイシーな香りと甘い告白は、とてもアンバランスだったけれど、同時に飾らなくて素敵な人だと思った。断る理由が、なかった。
埼玉県で一人暮らしをしていた姉の家に転がり込む形で住んでいたアパートに、誠二は何度も来てくれた。
彼は同い年なのに自立していて、桜新町のワンルームに住んでいた。彼の口から語られる生活はどれも新鮮で、魅力しかなかった。
私はほどなくして、誠二の家で生活をはじめるようになった。八畳の部屋には、テレビがあって、ソファがあって、ベッドがあって、テーブルがある。プライベートな空間なんてない部屋だけど、誠二と一緒にいられたらそれで良かった。
一緒に料理を作って、一緒に食べて、どちらかがお皿洗いをしている間に、どちらかがお風呂掃除をして、狭い浴槽に一緒に入って、寝返りができないベッドでくっついて眠りにつく。
涙が出るほど幸せだった、三年と六カ月。
気づけばお互いに二十三歳になり、私はブライダル関係の仕事、誠二も大学卒業後に広告代理店に就職した。
敦子は授かり婚をして、お腹が目立つ前に私の仕事場で式を挙げた。相手は早瀬くんではなく、一回り上の会社員。敦子いわく、結婚は勢いも大事だと言っていた。
私は誠二と将来について、深く話し合ったことはない。安定感、経済力、金銭感覚。結婚を決めるうえで大切な要素を、誠二はすべて持っている。彼と大きな喧嘩をしたことがないほど関係は良好で、それはもはや長年連れ添った夫婦みたいな感覚だった。
穏やかでゆっくりな時間が流れていく中で、ふと私は最近いつ誠二にときめいただろうかと考える。
アバウト・タイムがクライマックスに近づいていく。幸せとは浸るものではなく、気づいていくものというメッセージに毎回心を打たれる。
〝人間が恋をしているときは、他のいかなるときよりも我慢強くなる。そして、ほとんどすべてのことを受け入れられる〟
フリードリヒ・ニーチェの言葉のように、私が彼に不満を持たなかったのは、恋をしていたからだ。
なんでも受け入れることができた。なんでも許せた。だからこそ、私は気づいてしまった。
優しい彼が断れずに、仕事の付き合いで飲み会に行くこと。同期の女子も交えたキャンプに行って、その写真がその子のインスタに上がっていた時、私は誠二の浮気ではなく、私は遊びにいく暇もないほど忙しいのにって、嫌みが生まれた。
こっちは三時間しか寝れない日もあるのに、そっちは定時で帰れていいね。来月旅行に行こうかって、急に言われても困るし、じゃあ、フェスにする?って、後付けみたいに言わないで。
そんな不満が生まれるたびに、私は我慢が薄れていった。受け入れるということも難しくなってきたと思いはじめた時には、誠二に対しての恋心も分からなくなっていた。
大切なのは変わらないのに、なにをしていても心は静かなままで、全身が高鳴るような心拍を感じることもなくなった。
安心感といえば聞こえはいいけれど、彼といることに慣れてしまった私は、罪悪感すら感じるようになっていた。
苦しくて苦しくて、この家に帰ってくることさえ躊躇うようになっていたけれど、この一カ月間は心穏やかで、幸福な時間が流れている。
映画が終わって、電気をつけた。スクリーンだった壁はまっさらで、今の私みたいだ。
ケーキのお皿と飲み終わったコーヒーを片付ける。今日はお皿洗いとお風呂掃除の役割分担はしない。その代わりに、私は忘れ物がないか部屋を見渡した。
誠二のものしか置かれていないワンルーム。プロジェクターだけはあげるよと言った。住むアパートが決まった私は、今日この家から出ていく。
別れようと伝えてからこの三十日間、私たちは今までどおり一緒にいた。彼が住む場所が決まるまではここにいなよと言ってくれたからだ。
別れることが決まってからの私たちは、まるでタイムトラベルの能力を得たみたいに、過去の思い出の場所を巡った。
なにをするわけでもなく公園のベンチに座って喋ったり、行きつけの定食屋でご飯を食べたり、声が枯れるほどカラオケで熱唱して、わざわざ荒川の河川敷まで出向いて、コンビニのお酒を片手に座った夜もあった。
ひとつひとつの思い出に浸るたびに、ひとつひとつの整理がついていく。
楽しかった。幸せだった。
誠二と会えて良かったって、何度も何度も思った。
「もう、行くのか?」
「うん」
私は荷物を持って、玄関に立つ。ふたりが好きだった時間を最後に過ごせて、本当に良かった。
心に悔いはひとつもない。
今はただ、誠二の幸せを願っている。
「誠二、今までありがとう」
――『過去に戻れたら、俺たちはまた付き合うと思う?』
その答えは、未来に進んでいく私には必要ない。
ふたりで暮らしたワンルーム。
シューズボックスの上に鍵を置いて、私は部屋を出た。
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