御曹司様はあなたをずっと見ていました。
由香里が去ってから数日後。
今日は土曜日で、午前中から私はおばあちゃんのお見舞いに向かっていた。
おばあちゃんの大好物である和菓子を買って持って行くことにした。
おばあちゃんは和菓子の『きみしぐれ』が大好きなのだ。
よく行く和菓子屋の『きみしぐれ』は、表面に綺麗なひびが入っていて、その割れ目から見える桃色がとても美しいのだ。
もちろん見た目だけではない、一口頬張ると卵のような香りがたまらないのだ。
おばあちゃんの影響で私も『きみしぐれ』が大好きだった。
いつものように病院受付で入館の届を出して病室へと向かった。
病院の受付のおじさんとは顔見知りになっている。
「佐々木さん、今日は良い天気だね。おっ、その袋はおばあちゃんの好きな和菓子だね。きっと喜ぶだろうね。」
そのおじさんの笑顔は、ほんの少し亡き祖父の顔に似ている。
目尻のシワが笑うとたれ目に見えて、とても優しい表情なのだ。
そして、病室のドアをそっとを開けると、なぜか中からおばあちゃんの話し声が聞こえて来たのだ。
誰か来ているのかと不思議に思い、中をそっと覗いてみた。
するとそこには、後ろ姿ではあるが男性がおばあちゃんと楽しそうに話をしている。
とても背が高く、薄いグレーのパンツに黒のジャケットを着ている。
私がそっと近づくと、先に気が付いたのはおばあちゃんの方だ。
「あら、梨沙、ちょうど良かったわ…あなたの上司の方が来ているわよ…職場の上司なんですってね。」
職場で直接の上司と言えば細谷主任だ。
しかし、その男性の顔を見た時、驚きのあまり大きく息を吸い込み、息が止まる。
そして私がその男性の名前を言おうとした時、その男性は人差し指を私の口元に当て、言葉を遮った。
「た…た…たか…」
私が言おうとした名前は、高宮専務だったのだ。
高宮専務は、私が何か話すのを遮るように話し出した。
「佐々木さんは、職場でも皆からの信頼が厚くて、私はいつも頼りにしているのです。しかし先日、おばあさまが入院されていると伺い、近くに来たついでに寄らせていただきました。」
おばあちゃんは笑顔で高宮専務の話を聞いている。
そして、ベッドサイドのテーブルから大きな花束を持ち上げると、私に見せるようにして微笑んだ。
「梨沙ちゃん、こんなに素敵なお花を持ってきてくださったのよ…素敵な上司であなたは幸せね。」
私はどうしてよいか分からず、高宮専務に頭を下げた。
「…とても素敵なお花を、ありがとうございます。」
すると、おばあちゃんはとんでもない事を言い出したのだ。
「もしも、梨沙の結婚相手が、こんなに素敵な方だったら…私も心置きなく天国に行かれるわ…梨沙の花嫁姿を見るのが私の夢なのよ。」
私は慌てて声を出した。
「おばあちゃん!何を言っているの!…恥ずかしいから、もうそんなこと言わないでよ…ご迷惑になるでしょ!」
私が真っ赤になって慌てているのに対して、高宮専務は余裕の笑顔を浮かべている。
さらに、高宮専務は何か思いついたように話し始めたが、それは耳を疑うような驚く発言だった。
「ご挨拶が遅くなりましたが、僕は梨沙さんとお付き合いさせて頂いております。結婚も梨沙さんが了承してくれれば、僕はすぐにでも結婚したいのですが、なかなか彼女が良い返事をくれないのですよ。」
「…なっ!…なにを…」
私は驚き過ぎて声が裏声になってしまうほどだった。
しかし、高宮専務は涼しい顔で私の肩に手を置いて、おばあちゃんに見えないようにウィンクをして見せたのだ。
すると、おばあちゃんはしばらく無言だったが、少しして泣き出してしまったのだ。
「…おばあちゃん!」
「梨沙、やっぱりそうだったのね…あなたがこんなに素敵な男性とお付き合いしているなんて…嬉しくて涙が出て止まらないわ…本当に梨沙の花嫁姿を見ることが出来るのね…生きていてよかったわ…。」