エリート外交官は別れを選んだ私を、赤ちゃんごと溺愛で包む
帰国してからの日々は、まるで毎日砂を食むような日々だった。なにを食べても美味しくない。なにを見ても美しさを感じない。
夏乃子と見た全ての風景は、あんなに輝いていたというのに。
「おお綾城くん、久しぶりだな」
「ご無沙汰しております、領事」
「君はあれだな、二年前までここに赴任していたんだよな?」
俺の返事は妙なものだったと思う。どうしたってそれは、夏乃子との思い出と直結するものだったから。
二年経っても忘れられない彼女。
いや、月日が経つにつれ鮮明さを増し、恋慕を加速させる愛おしい人――。
夏乃子と離れて二年。
本省勤務の課長補佐となっていた俺は、来月に予定している外務大臣のロンドン訪問に向けた下準備のため、再び愛おしい人が暮らしているはずのロンドンの地を踏んだ。
到着当日、大使館では情報交換――つまりは裏の読み合い――のためのパーティーが行われていた。到着早々に参加させられて、少々気鬱だった俺は、総領事への挨拶の途中で紹介された女性にこっそりと目を瞠った。彼の息子の大学時代からの恋人だという彼女――。
雰囲気は全く違う。
夏乃子の、清廉な夏の風を感じるものじゃない。むしろ真逆の、厭な雰囲気の女性で――夏乃子よりは、五つ六つ年下のように思えた。
だけれど、顔立ちは瓜ふたつ。ただ、瞳の色が違った。夏乃子はライトブラウウンとグリーンの中間色であるへーゼルだったが、彼女は濃い焦茶色。
「彼女はララ・ヴァリアーズ、カールトリー伯爵の御息女だよ。お母様が日本人だそうだ」
彼女は、にっこりと優雅にレディ・ヴァリアーズは微笑んだ。
伯爵令嬢? 夏乃子もそうだったのか?
。
彼女が夏乃子の親類ならば、いま彼女がなにをしているか知れるはずだ。
知ってどうするのだろう、とは思う。
いま幸せなら、それを遠くに見て諦める気か?
自問自答するが、答えは出ない。
慎重に表情を選びつつ、心にもない笑みを浮かべる。――どうやら俺の外見というものは、女性からの好意を得やすいらしい。
その間にもヴァリアーズ嬢はほのかに頬を染め、俺を見上げた。
「こんにちは、綾城と申します、お嬢様」
「ふふ、やだ、ララでいいです。そんなふうに呼ばれ慣れていませんから」
口元に手をやり、上目遣いがちに彼女は俺を見上げた。くっきりとした化粧、着ているのはオートクチュールのドレス、アクセサリーも伯爵令嬢らしく上品だが確実に値が張るもの。
なんだかひどく、不快だった。
「そういえば、ララ嬢は京都に行ってみたいと言っていなかったか? 綾城くん、確か君、親戚が京都だったな。少し話をしてあげてくれないか」
大使の言葉に、大袈裟なほどヴァリアーズ令嬢ははしゃぐ。ため息をつきたいのを我慢しつつ、いいチャンスかもしれないと思った。
夏乃子は君のなんなんだ?
大使館の庭の東屋で、俺は半分上の空で彼女からの質問に答える。あらかた喋り終わった頃、俺は口を開いた。本題だ。
「いきなり個人的なことを尋ねて申し訳ないのですが」
「なんでしょう?」
彼女は期待に満ちた表情で小首を傾げる。おおかた、自分のことを可愛いとでも思っているのだろう――夏乃子の同じ仕草は、いじらしくて健気で可愛くて仕方なかったというのに。