エリート外交官は別れを選んだ私を、赤ちゃんごと溺愛で包む
さざなみの音がする。海で遊ぶ人たちの喧騒に混じり寄せては返す波の音。小型の船が白い澪を描く。海は太陽で輝いていた。
「俺は君がリアムを好きなんだと思ってた」
唐突に勇梧さんは口を開く。
「リアムを?」
「そうだ。だから、子供ができれば嫌でも俺のものになるだろうと考えて……あの日、君を抱き潰す間、一度も避妊しなかった」
勇梧さんがぐいっと私の腰を引き寄せた。その大きな手のひらが、私の下腹部に触れる。
ちょうど、子宮があるあたり――。
あの夜を思い出し、ずくんと疼く。
もう二年も前なのに、身体が覚えている――!
「ここに全部注ぎ込んだ」
「ゆ、勇梧さん」
「俺の子を孕めばいいと」
「そんな」
「そして思惑通りになった」
勇梧さんがうっすらと笑う。
「離れて分かった。俺は君を手放せない。愛してる、夏乃子」
そう言って彼は私の髪の毛をひとふさ、手に取った。そこにキスを落とす。
「どうか俺を愛して――慶梧の次でいいから」
「なんっ……で、そんな、ことっ」
彼の手を振り解こうとするけれど、抵抗になっていない――だって離れたくないから。抱きしめてほしいから。
「分かってますか? 私はあなたに相応しくない」
「どこか相応しくないのか教えてくれるか」
そっ、と彼は私を抱き寄せて言う。
潮の匂いに混じって、彼の香りがする。
「あ……っ、と、学歴も、ないですし」
「必要ない」
「でも、外交官なら他国の方とのパーティーなんかもあるでしょう。そのときに私なんかじゃ……恥になります」
「どうして? 外交の場で教養や頭の良さは学歴なんかじゃ判断されない。そもそも『日本のいい大学』を出ていたところで、その名前を世界中の人が知っていると思うのか」
「……え?」
「スロベニアで一番偏差値の高い大学は?」
「え? えっと、ええっ」
スロベニア……? 中央ヨーロッパの国だとは分かるけれど。
「そんなもんだぞ、他国に対する関心なんて」
「あ……」
私は目を瞬く。
「っ、でも、省内での出世とか、そういうのに……関わるのでは」
「いつの時代の話をしてるんだ? まあ確かに、上の世代ではそういう向きも否めない。けれど夏乃子」
勇梧さんが自信たっぷりに言い放つ。
「妻の家の後押しなどなくても、俺は問題ない。優秀だからだ」
思わずぽかんと見つめる。
勇梧さんは苦笑した。
「言いすぎたかな? けれど本当だ。自信があるから、隣で見てるといい」
目を瞬くと、勇梧さんはさらに続ける。
「他にはなんだ? 語学? 問題ないよな、元伯爵夫人譲りのクイーンズイングリッシュ。『天気予報のような』」
その言い方にイギリス時代を思い出し、ついくすっと笑ってしまう。
平等をいくら掲げていようと、それでも厳密に階級が残るイギリスでは、階級ごとに話し方ひとつ違う。リアムのような「労働階級」の英語の発音と、ニュース番組で読み上げられる「上流階級」の英語。リアムからもよく『天気予報みたいな発音』だと揶揄(からか)われていた。
イギリスを思い出し、眉を下げる。
「でも、私、……伯爵家の血は継いでないんです」
「俺もだぞ?」
大事なことのように勇梧さんは言う。
「ここはイギリスじゃない、夏乃子。日本なんだ。爵位なんか前世紀に撤廃されて跡形もない。俺なんか三代前がなにをしていたのかも知らない」
私は――。
呆然と彼を見上げた。