エリート外交官は別れを選んだ私を、赤ちゃんごと溺愛で包む

「可愛いな」

 イルカの水槽の前で、勇梧さんが言う。私は眉を下げた――だって、彼はイルカなんか見てない。

 顔を上げるとばちりと目が合う。そうして彼は「可愛い」と目を細めた。

「イルカ、がですよね?」
「どうかな」

 ふ、と勇梧さんが悪戯っぽく笑い、握っていた手の力を少し強めた。指と指が絡む。

「そんな可愛い顔で睨むなよ」
「か、可愛くなんか」
「可愛いよ」

 ふと真剣な顔になって、勇梧さんは言う。

「夏乃子は可愛い。こんなに愛おしい存在に出会えるなんて、神様がいるのなら感謝したい」
「大袈裟です……」

 多分、耳まで真っ赤だ。
 人に聞かれていたらどうするのだろう、とついあたりを見回してしまう。幸い皆イルカに夢中で、誰も私たちに注目なんかしていないけれど。

「本気なのに」

 そう耳元で言って、彼は私の耳を噛んだ。

「ひゃ……っ」

 耳を押さえて顔を上げると、勇梧さんは「仕方ないだろ?」と眉を下げた。

「久しぶりのデートなんだから。少しくらいいちゃつかせてくれ」
「い、いちゃつく?」
「そう。いちゃつく」

 ちゅ、とこめかみに落ちてくるキス。目を瞠ると、勇梧さんが満足げに私を見つめていた。
 チケット売り場近くのショップで、慶梧にお土産のぬいぐるみを買う。イルカとアザラシで迷っていると、勇梧さんがあっという間にふたつともカゴに入れてしまう。

「その、あまり甘やかすのは」
「いいだろ? 今までのぶん、甘やかしたいんだ」

 そう言って、ペンギンや深海生物のメンダコのぬいぐるみもカゴに入れる。

「こんなに」
「これは夏乃子の」

 ぱちぱちと目を瞬く。勇梧さんは少し寂しげに笑った。

「夏乃子のことも甘やかしたい」
「勇梧さん」
「二年ぶん……」

 彼は笑う。
 胸がぎゅっと痛んだ。
 私、私は……。
 勇梧さんのためだとか言って、結局、彼から奪ってきただけなんじゃないだろうか?

 慶梧の可愛い赤ちゃん時代。
 新生児期の、ふにゃっとした微笑み。頼りない泣き声が、だんだんと大きく元気になっていく。

 初めての寝返り。ずり這い、はいはい。つかまり立ちをしたと思ったら、あっという間に歩けるようになって……。

 ミルクをたっぷり飲んで、抱っこのまま満足げに寝落ちしたときの可愛い顔。小さな口の端っこに、ちょこっとだけついたミルクを拭いてあげる瞬間の幸福。


 そういう幸せを、奪ってきただけ、なのかも……。
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