誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
夕暮れ時の太陽の光が、まだ消えてなるものかと言わんばかりに木の葉を通して落ちていた。
そのわずかな光を見つめながら、ほんの少しだけ気持ちが楽になっている自分に気づいた。
本当は、私は誰かに知ってほしかったのかもしれない。
こんな人間がいる、ということを。
こうして息を殺して生きている人間がこの世にいる、ということを。
まるで自然の摂理とでもいうように、どこへ行ってもいじめのターゲットになってしまう私。先生も見て見ぬふりで、自分のことにしか興味がない。
誰も私を見ていない。
誰も私を助けてなんかくれない。
それでも、こうして生きている人間がいる、ということを、誰でもいいから知ってほしかったのかもしれない。
話したところでどうせ誰も信じてはくれないのだけれど。
あの男の子はたまたま毎朝すれ違う人だったから、話が通じた。
そして彼は、あさっての日曜には全部忘れる。だからこそ気兼ねなく、すべてをさらけ出せたように思う。
神社を抜け、石段を降りた。
緑の世界が終わり、灰色のアスファルトへと足を下ろした。
帰ろう。
帰って、制服を洗って。ご飯を作って、宿題をして。いつもなら遅くに帰ってくるお母さんを起きて待っているところだけれど、今日は疲れてしまったし、早く寝てしまおう。
私も今日あった、すべての嫌なことを忘れられるように……。
その時、背後から突然大きな声がした。
「気に食わねー」
振り返ると、走って戻ってきたのか、肩を上下させている男の子が石段の一番上に立っていた。
見るからに、不機嫌そうな顔。私以外の女の子だったら、その目を見た瞬間に怖くなって逃げ出してしまうかもしれない。
でもすべてがどうでもよくなっていた私は、その視線も容易に受け止めることができた。
男の子はふうっと大きく息を吐くと、切り替えるように私を見据えた。
「お前、それでいいの?」
飛んでくる、問い。
でも、考えていることすらも放棄している私にはいまいち内容が入ってこない。
「なにが……」
「だから。みんなに忘れられる人生。誰にも覚えてもらえない人生。それでいいのかって言ってんの」
男の子の目を見つめる。その瞳の奥に宿る光がうそのない純粋なものだったから、本当にこの人は赤の他人の私を心配してるんだ、と悟ってしまった。
そして、確信してしまう。
やっぱりこの人にはわからない。私の気持ちなんか。
毎日ひどいいじめを受けることよりも、人に忘れられて生きていく人生の方が幸せだということ。
この願いが、私を救ってくれたということ。
彼は何もわからずに、ただただ私の現状を憂いている。私の今の状態が不幸なものだと決めつけている。
その幸せな思考が、私は、心の底から羨ましい。
「……だめですか?」
聞き返した。
石段の上を見上げるのも気だるくて、視線が自然に下へと向かっていた。
「逃げちゃ……だめなの?」
現実逃避するように横を向くと、遠く、静かな街並みが私を見つめ返した。
味気のない、同じ形をした一軒家たちの向こうに、静かに陽炎が揺れている。
私の人生も幻だったらいいのにと思えた。
「みんなみんな、嫌なことに立ち向かえるわけじゃない……。私にとって、忘れられることは救いだったの。全部の悩みを取り払ってくれる、最高のできごとだったの」
そして少し間を置いて、私はあなたみたいに強くない、と呟いた。
羨ましい。
あなたみたいな人が。
きっとあなたは、どんな生徒にも怖い先生にも楯突けるのだろう。
社会が気に食わないなら反旗を翻して、仲間とともに変えていく力すらあるのだろう。
私とは再反対。
きっと私みたいな人間の悩みなんか、少しも、少しも理解できない。
「私は、弱いから……。逃げることしかできない。……本当は、あなたみたいに戦える人ならよかったんだろうけど」
そのわずかな光を見つめながら、ほんの少しだけ気持ちが楽になっている自分に気づいた。
本当は、私は誰かに知ってほしかったのかもしれない。
こんな人間がいる、ということを。
こうして息を殺して生きている人間がこの世にいる、ということを。
まるで自然の摂理とでもいうように、どこへ行ってもいじめのターゲットになってしまう私。先生も見て見ぬふりで、自分のことにしか興味がない。
誰も私を見ていない。
誰も私を助けてなんかくれない。
それでも、こうして生きている人間がいる、ということを、誰でもいいから知ってほしかったのかもしれない。
話したところでどうせ誰も信じてはくれないのだけれど。
あの男の子はたまたま毎朝すれ違う人だったから、話が通じた。
そして彼は、あさっての日曜には全部忘れる。だからこそ気兼ねなく、すべてをさらけ出せたように思う。
神社を抜け、石段を降りた。
緑の世界が終わり、灰色のアスファルトへと足を下ろした。
帰ろう。
帰って、制服を洗って。ご飯を作って、宿題をして。いつもなら遅くに帰ってくるお母さんを起きて待っているところだけれど、今日は疲れてしまったし、早く寝てしまおう。
私も今日あった、すべての嫌なことを忘れられるように……。
その時、背後から突然大きな声がした。
「気に食わねー」
振り返ると、走って戻ってきたのか、肩を上下させている男の子が石段の一番上に立っていた。
見るからに、不機嫌そうな顔。私以外の女の子だったら、その目を見た瞬間に怖くなって逃げ出してしまうかもしれない。
でもすべてがどうでもよくなっていた私は、その視線も容易に受け止めることができた。
男の子はふうっと大きく息を吐くと、切り替えるように私を見据えた。
「お前、それでいいの?」
飛んでくる、問い。
でも、考えていることすらも放棄している私にはいまいち内容が入ってこない。
「なにが……」
「だから。みんなに忘れられる人生。誰にも覚えてもらえない人生。それでいいのかって言ってんの」
男の子の目を見つめる。その瞳の奥に宿る光がうそのない純粋なものだったから、本当にこの人は赤の他人の私を心配してるんだ、と悟ってしまった。
そして、確信してしまう。
やっぱりこの人にはわからない。私の気持ちなんか。
毎日ひどいいじめを受けることよりも、人に忘れられて生きていく人生の方が幸せだということ。
この願いが、私を救ってくれたということ。
彼は何もわからずに、ただただ私の現状を憂いている。私の今の状態が不幸なものだと決めつけている。
その幸せな思考が、私は、心の底から羨ましい。
「……だめですか?」
聞き返した。
石段の上を見上げるのも気だるくて、視線が自然に下へと向かっていた。
「逃げちゃ……だめなの?」
現実逃避するように横を向くと、遠く、静かな街並みが私を見つめ返した。
味気のない、同じ形をした一軒家たちの向こうに、静かに陽炎が揺れている。
私の人生も幻だったらいいのにと思えた。
「みんなみんな、嫌なことに立ち向かえるわけじゃない……。私にとって、忘れられることは救いだったの。全部の悩みを取り払ってくれる、最高のできごとだったの」
そして少し間を置いて、私はあなたみたいに強くない、と呟いた。
羨ましい。
あなたみたいな人が。
きっとあなたは、どんな生徒にも怖い先生にも楯突けるのだろう。
社会が気に食わないなら反旗を翻して、仲間とともに変えていく力すらあるのだろう。
私とは再反対。
きっと私みたいな人間の悩みなんか、少しも、少しも理解できない。
「私は、弱いから……。逃げることしかできない。……本当は、あなたみたいに戦える人ならよかったんだろうけど」