誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
*
それから私たちは平日の朝、毎日駅のホームで落ち合うことになった。
植村くんの中の私の記憶を更新させるために。
今後も私に関する記憶が残り続けるように。
今まで植村くんは毎朝反対のホームで私を見かけていたから、平日の五日間だけは記憶が続いていた。だから記憶の継続のためには今までと同じ行動をとってもらえば問題はないのだけど、「俺だけがんばるのも癪だからお前もちゃんと俺を見つけろ」とのことで、毎朝挨拶をしなければならなくなった。
〝八時十分、先頭車両を出た端のところで。もしいなかったらその足で学校と家に乗り込むからな〟
その言葉通り、植村くんは朝、ちゃんと向かいのホームに現れた。
私を見つけると、植村くんは口を〝オ、ハ、ヨ〟の形にして小さく手を上げる。私はそれに、周りに人たちにバレないようにそっと会釈を返す。
違うホームにいるのにいちいち会いにいくのは手間だからと、こうすることになった。
別に挨拶なんかしなくても、目に入りさえすればそれでいいのに。秘密の挨拶は思った以上に気恥ずかしくて、初日から嫌になってしまった。
それにしても……。
いかにも遅刻ばかりしていそうな感じなのに、植村くんがちゃんと時間通りに来たことに驚いてしまった。
毎朝八時十分なんて決めたって、どうせ寝坊でもして来ないだろうと思っていた。なのに、まだ一日目とはいえ、約束通りに律儀に来る植村くんはらしくない感じがして不思議だった。
らしくないもなにも、私は植村くんのことを何も知らないのだけれど。
よく考えたら、私を毎朝見かけていたということは毎日同じ時間にこのホームにいたということ。植村くんは朝寝坊はしないタイプということになる。
彼は口も態度も悪いけれど、私が思うほどいい加減な人じゃないのかもしれない。
朝の挨拶も済ませたので、そそくさと改札を出る。今日は多田さんは同じ電車に乗っていなかったようで、ほっとしながら学校への道のりを歩いた。
その道すがら、少し考えた。
植村くんは本当に、呪いが解けるまで私と会い続けるつもりなのだろうか。
平日なら今みたいな感じで負担は少ないけれど、土日も会うとなるとかなり面倒だ。家が近所の人ならマシだけれど、おそらく私たちの家は電車で何駅も離れている。
昨日の日曜も、記憶の継続のためにまた井澄神社に集合させられた。会ってすぐ解散はしたけれど、基本予定のない私ならいざ知らず、植村くんみたいな遊び盛りの男の子には休日に毎日同じ人と顔を合わせるなんて無理な話だろう。
大切な家族や、恋人のための行動ならまだわかるけれど……。
……暇人?
やっぱり、興味本位?
それともただの、気まぐれ……?
モヤモヤと考えていると、いつのまにか学校に着いていた。
登校中にいじめのことを一度も考えないで到着するなんて珍しい。心の中で自虐的に笑いながら、下駄箱で洗いたての上履きに履き替える。
でも、賑わう廊下を見つめていると、やっぱり緊張感が高まってきた。
また一週間が始まる、といういつもの怖さもあるけれど。
今日は結果発表の日だから。
〝笠井栞莉の呪いが消えますように〟
植村くんのあの願いが叶えられたかを確認する日だから、特に怖い。
ドアの向こうでざわざわと声がする。毎朝吐きそうになる、この瞬間。
それでもいつもの月曜なら朝からいじめられることはないからマシなのだけれど、今日はみんなが私に関する記憶を取り戻していて、先週に続いていきなり嫌がらせをしてくる可能性がある。
本当に、植村くんの願いが叶っていたら……。
ばくばくと鳴る心臓に手を当てて、入り口の前に立つ。
そして目をつむり、ゆっくりと扉を開け……。
瞼を開いた。
そこに広がっていたのは、見慣れた、いつもの教室の光景だった。
朝の挨拶を交わしたみんなが、好きずきに周りの人と話し込んでいる。誰も私のことなんか見ていない、たった一人の、いつもの月曜。
一番前の席の多田さんにそっと目を向けた。
彼女は私の存在なんか気にも留めず、楽しそうに友達と話していた。
もしいじめが継続していたら、朝から何かをしかけてきそうなものなのに。そんな気配もなく、みんなで昨日行ったらしいお台場の話で盛り上がっている。
……やっぱり、今日の私は〝友達のいない、ただクラスが同じというだけのクラスメイト〟だ。
静かに席について、息を吐いた。
植村くんの願いは聞き届けられなかったんだ。
あの夜の私の願いは届いたのに、なぜだろう。わからない。〝みんな、私のことなんて忘れてしまえばいいのに〟——あの池で、あれ以外の願いが叶った記憶は今のところ、ない。
ただとにかく、植村くんの願いが聞き入れられなくて安心していた。
もし多田さんやみんなが先週のいじめのことを覚えていたら、新しいおもちゃで遊ぶかのように朝から寄ってくるに決まってる。そしたらまた、生きているのに死んでいるみたいな、地獄の日々が始まってしまう。
だから……これでいい。
このままで、いいんだ。
それから私たちは平日の朝、毎日駅のホームで落ち合うことになった。
植村くんの中の私の記憶を更新させるために。
今後も私に関する記憶が残り続けるように。
今まで植村くんは毎朝反対のホームで私を見かけていたから、平日の五日間だけは記憶が続いていた。だから記憶の継続のためには今までと同じ行動をとってもらえば問題はないのだけど、「俺だけがんばるのも癪だからお前もちゃんと俺を見つけろ」とのことで、毎朝挨拶をしなければならなくなった。
〝八時十分、先頭車両を出た端のところで。もしいなかったらその足で学校と家に乗り込むからな〟
その言葉通り、植村くんは朝、ちゃんと向かいのホームに現れた。
私を見つけると、植村くんは口を〝オ、ハ、ヨ〟の形にして小さく手を上げる。私はそれに、周りに人たちにバレないようにそっと会釈を返す。
違うホームにいるのにいちいち会いにいくのは手間だからと、こうすることになった。
別に挨拶なんかしなくても、目に入りさえすればそれでいいのに。秘密の挨拶は思った以上に気恥ずかしくて、初日から嫌になってしまった。
それにしても……。
いかにも遅刻ばかりしていそうな感じなのに、植村くんがちゃんと時間通りに来たことに驚いてしまった。
毎朝八時十分なんて決めたって、どうせ寝坊でもして来ないだろうと思っていた。なのに、まだ一日目とはいえ、約束通りに律儀に来る植村くんはらしくない感じがして不思議だった。
らしくないもなにも、私は植村くんのことを何も知らないのだけれど。
よく考えたら、私を毎朝見かけていたということは毎日同じ時間にこのホームにいたということ。植村くんは朝寝坊はしないタイプということになる。
彼は口も態度も悪いけれど、私が思うほどいい加減な人じゃないのかもしれない。
朝の挨拶も済ませたので、そそくさと改札を出る。今日は多田さんは同じ電車に乗っていなかったようで、ほっとしながら学校への道のりを歩いた。
その道すがら、少し考えた。
植村くんは本当に、呪いが解けるまで私と会い続けるつもりなのだろうか。
平日なら今みたいな感じで負担は少ないけれど、土日も会うとなるとかなり面倒だ。家が近所の人ならマシだけれど、おそらく私たちの家は電車で何駅も離れている。
昨日の日曜も、記憶の継続のためにまた井澄神社に集合させられた。会ってすぐ解散はしたけれど、基本予定のない私ならいざ知らず、植村くんみたいな遊び盛りの男の子には休日に毎日同じ人と顔を合わせるなんて無理な話だろう。
大切な家族や、恋人のための行動ならまだわかるけれど……。
……暇人?
やっぱり、興味本位?
それともただの、気まぐれ……?
モヤモヤと考えていると、いつのまにか学校に着いていた。
登校中にいじめのことを一度も考えないで到着するなんて珍しい。心の中で自虐的に笑いながら、下駄箱で洗いたての上履きに履き替える。
でも、賑わう廊下を見つめていると、やっぱり緊張感が高まってきた。
また一週間が始まる、といういつもの怖さもあるけれど。
今日は結果発表の日だから。
〝笠井栞莉の呪いが消えますように〟
植村くんのあの願いが叶えられたかを確認する日だから、特に怖い。
ドアの向こうでざわざわと声がする。毎朝吐きそうになる、この瞬間。
それでもいつもの月曜なら朝からいじめられることはないからマシなのだけれど、今日はみんなが私に関する記憶を取り戻していて、先週に続いていきなり嫌がらせをしてくる可能性がある。
本当に、植村くんの願いが叶っていたら……。
ばくばくと鳴る心臓に手を当てて、入り口の前に立つ。
そして目をつむり、ゆっくりと扉を開け……。
瞼を開いた。
そこに広がっていたのは、見慣れた、いつもの教室の光景だった。
朝の挨拶を交わしたみんなが、好きずきに周りの人と話し込んでいる。誰も私のことなんか見ていない、たった一人の、いつもの月曜。
一番前の席の多田さんにそっと目を向けた。
彼女は私の存在なんか気にも留めず、楽しそうに友達と話していた。
もしいじめが継続していたら、朝から何かをしかけてきそうなものなのに。そんな気配もなく、みんなで昨日行ったらしいお台場の話で盛り上がっている。
……やっぱり、今日の私は〝友達のいない、ただクラスが同じというだけのクラスメイト〟だ。
静かに席について、息を吐いた。
植村くんの願いは聞き届けられなかったんだ。
あの夜の私の願いは届いたのに、なぜだろう。わからない。〝みんな、私のことなんて忘れてしまえばいいのに〟——あの池で、あれ以外の願いが叶った記憶は今のところ、ない。
ただとにかく、植村くんの願いが聞き入れられなくて安心していた。
もし多田さんやみんなが先週のいじめのことを覚えていたら、新しいおもちゃで遊ぶかのように朝から寄ってくるに決まってる。そしたらまた、生きているのに死んでいるみたいな、地獄の日々が始まってしまう。
だから……これでいい。
このままで、いいんだ。