誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
第一話
「あーあ、せっかく買ったのに飲みきれなかったー。学校着く前に捨てなきゃ」
背後から明るい声が聞こえてきたかと思うと、同時に生ぬるい液体が頭に降りかかった。
瞬間、今年最後の入道雲を映していた私の視界は真っ黒に染まっていた。
制服の上で弾ける、泡。それと同時に広がる、朝のニュースで特集されてるパンケーキみたいな、無駄に甘ったるい匂い。
手のひらが黒っぽく色づいているのを見て、ようやくコーラか、と理解する。
私は立ち止まったまま、改札口へと向かっていく多田さんたちを見つめていた。
辺りは他にも、電車から降りてきた人たちでごった返している。これから出勤するらしいサラリーマンに、上品な私立の制服を着た小学生たち。通勤ラッシュの殺伐さに負けじとベビーカーをひいているお母さんもせかせかと横を通っていく。
でも、誰も私のことなんて見ていない。
まるで透明人間みたい。
誰も気にしない、私の散々なやられっぷり。見られたら見られたで同情されても惨めなだけだけれど、どこか虚しく感じてしまうのは心の底では誰かに救いを求めているからなのだろうか。
……そして、誰も私のことを見ていないというのに、クラスメイトの女子たちには私のことがよく見えてしまうのだから人生はままならない。
ひとつため息をつくと、いつもなら改札へ向かうはずの足をベンチへと向けた。
でも、みんなが座る椅子をコーラで汚してしまうのはいたたまれなくて、結局壁際にしゃがみ込んだ。背中に薄汚れた駅の壁が張り付いて、そこから小さな虫たちが体にまとわりつく妄想が脳内に広がるものの、そこから立ち上がる気力はなかった。
制服は、どうなったっていい。
うちの学校の制服は手洗いができるタイプだから。まるで「どうぞコーラをぶちまけてください、クリーニング代はかかりませんよ」とでも言わんばかりの制服だ。
生徒手帳を隅々まで読めば、きっと校則のどこかに「警察沙汰にならない程度のいじめは許可する」という文章が書いてあると思う。
それくらい、生徒たちのストレス発散には寛容な校風。入学する前に知っていれば受験なんてしなかったのに、パンフレットには都合のいい情報しか載っていないのだから嫌になってしまう。
ただ。
制服はかまわないけれど、髪の毛は……。
胸元で黒い水滴を垂らしている毛先を見つめて、息を吐いた。
コーラは、さすがに堪えた。コーラが髪にかかると痛むというし、色が抜けると聞いたこともある。
この髪を生まれてから一度も染めたことがないのは、圧倒的に地味な根暗女が髪を染めても浮くだけだからという理由だけ。
でも、お母さんが「栞莉は本当にきれいな黒髪してるね」と褒めてくれてからというものの、唯一気に入っている自分のチャームポイントになった。なのに。
……おとといと同じ、ミネラルウォーターだったならマシだったのにな。
心の中で呟きながら、ホームにひとつ、ひとつと増えていく黒い雫を見つめていた。