誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
私はいじめられても、月曜には忘れられる。
でも、佐倉さんは違うから。もし何かの拍子に佐倉さんがいじめのターゲットにでもなったら、佐倉さんも私の中学のはじめの頃と同じように、ひどい仕打ちを受けるかもしれない。
……私はずっと、自分のことなんて誰も見ていないと決めつけていたけど……。
佐倉さんは同じ学校の中で唯一、私のことを見つけてくれる人だ。
今までは佐倉さんが何を考えているのかわからなくて、植村くんの時のように偽善者だのと否定的に捉えることもあった。でも今は、佐倉さんがどんな感情であったとしても、その行為をうれしく思える。
それが偽善であれなんであれ、私を見ていてくれる数少ない人だから。
……やっぱり私、変わったのかな……。
「……戻るね」
佐倉さんはいま拾った分の紙きれを自分の鞄に詰めると、足早に廊下を歩いていった。
そして、ぎょっとした。
入れ替わりのように、廊下の向こうから多田さんが現れたからだ。
上履きを擦るようにして歩く、多田さんの独特な足音。それを聞いて佐倉さんは去ったのだろう。多田さんの特徴まで把握しているなんて、彼女の危機管理能力に驚いてしまった。
わかってる。
誰だって、自分に火の粉がかかるのは嫌に決まってる。
「あ、間に合わなかった。笠井さん、おはよ〜」
多田さんの笑顔を見て、声が出なくなった。
間に合わなかった、というのは、紙吹雪が舞う瞬間に立ち会えなかった、ということだ。
それを楽しみに登校してきたのに、教室で時間を潰しすぎたのか、勝手に悔しがっている。笑顔の裏の悪魔がちっと舌打ちをするのが見えた。
胸の奥にもくもくと、黒い靄が立ち込めていく。
でも、だめ。
何も考えちゃいけない。
無になれ。それが一番大事にならない、楽にやり過ごせる方法なんだから。
黙って残った紙くずを拾っていると、無視かよー、と言って多田さんが床の紙くずを踏みつけた。
私とは違う新品同様の上履きは、縁がスパンコールとマジックでデコられている。
「どしたの、これ。下駄箱汚すと先生に怒られるよ〜」
くすくすと笑う多田さんの声も無視し、紙を拾い続けた。
もう予鈴も鳴り終えていて、辺りはいつのまにか生徒がいなくなっていた。早く片付けて教室に逃げ込みたいのに、小さい紙くずを残したまま行こうとすればきっと引き止められるだろうから身動きが取れない。
急いで手を動かしていると、急に強い力で頭が引っ張られ、視界がぶれた。
驚いて、うっ、とおかしな声が出てしまう。
「あれ。髪にガムついてるよ。取ってあげる」
髪……。
髪を引っ張られたんだ。
ようやく状況を把握し顔を上げると、多田さんが私の右側の毛束をがっしりと掴んでいた。
あまりの力に、多田さんの腕を掴み返してみるもののその手は離れない。強く前に引かれて床に手をつき、再度顔を見上げると、正面に多田さんの張り付いた笑顔があった。
そして、気づいてしまった。
多田さんが、私の髪を掴む方とは逆の手に持っているもの。
……ハサミだ。
家庭科の授業で使う、大ぶりの布切りハサミ。それがじりじりと近づいてくる。
反射的に身を引いたものの、多田さんの腕はやっぱり離れず動けない。
まるで怪物が獲物を捕食する時のように、二枚の刃が大きく口を開いていく。
そして、その刃が私の長い髪を絡め取り。
ゆっくりと、ゆっくりと、重なって——。
「やめっ……!」
でも、佐倉さんは違うから。もし何かの拍子に佐倉さんがいじめのターゲットにでもなったら、佐倉さんも私の中学のはじめの頃と同じように、ひどい仕打ちを受けるかもしれない。
……私はずっと、自分のことなんて誰も見ていないと決めつけていたけど……。
佐倉さんは同じ学校の中で唯一、私のことを見つけてくれる人だ。
今までは佐倉さんが何を考えているのかわからなくて、植村くんの時のように偽善者だのと否定的に捉えることもあった。でも今は、佐倉さんがどんな感情であったとしても、その行為をうれしく思える。
それが偽善であれなんであれ、私を見ていてくれる数少ない人だから。
……やっぱり私、変わったのかな……。
「……戻るね」
佐倉さんはいま拾った分の紙きれを自分の鞄に詰めると、足早に廊下を歩いていった。
そして、ぎょっとした。
入れ替わりのように、廊下の向こうから多田さんが現れたからだ。
上履きを擦るようにして歩く、多田さんの独特な足音。それを聞いて佐倉さんは去ったのだろう。多田さんの特徴まで把握しているなんて、彼女の危機管理能力に驚いてしまった。
わかってる。
誰だって、自分に火の粉がかかるのは嫌に決まってる。
「あ、間に合わなかった。笠井さん、おはよ〜」
多田さんの笑顔を見て、声が出なくなった。
間に合わなかった、というのは、紙吹雪が舞う瞬間に立ち会えなかった、ということだ。
それを楽しみに登校してきたのに、教室で時間を潰しすぎたのか、勝手に悔しがっている。笑顔の裏の悪魔がちっと舌打ちをするのが見えた。
胸の奥にもくもくと、黒い靄が立ち込めていく。
でも、だめ。
何も考えちゃいけない。
無になれ。それが一番大事にならない、楽にやり過ごせる方法なんだから。
黙って残った紙くずを拾っていると、無視かよー、と言って多田さんが床の紙くずを踏みつけた。
私とは違う新品同様の上履きは、縁がスパンコールとマジックでデコられている。
「どしたの、これ。下駄箱汚すと先生に怒られるよ〜」
くすくすと笑う多田さんの声も無視し、紙を拾い続けた。
もう予鈴も鳴り終えていて、辺りはいつのまにか生徒がいなくなっていた。早く片付けて教室に逃げ込みたいのに、小さい紙くずを残したまま行こうとすればきっと引き止められるだろうから身動きが取れない。
急いで手を動かしていると、急に強い力で頭が引っ張られ、視界がぶれた。
驚いて、うっ、とおかしな声が出てしまう。
「あれ。髪にガムついてるよ。取ってあげる」
髪……。
髪を引っ張られたんだ。
ようやく状況を把握し顔を上げると、多田さんが私の右側の毛束をがっしりと掴んでいた。
あまりの力に、多田さんの腕を掴み返してみるもののその手は離れない。強く前に引かれて床に手をつき、再度顔を見上げると、正面に多田さんの張り付いた笑顔があった。
そして、気づいてしまった。
多田さんが、私の髪を掴む方とは逆の手に持っているもの。
……ハサミだ。
家庭科の授業で使う、大ぶりの布切りハサミ。それがじりじりと近づいてくる。
反射的に身を引いたものの、多田さんの腕はやっぱり離れず動けない。
まるで怪物が獲物を捕食する時のように、二枚の刃が大きく口を開いていく。
そして、その刃が私の長い髪を絡め取り。
ゆっくりと、ゆっくりと、重なって——。
「やめっ……!」