誰もいないこの世界で、君だけがここにいた



 しばらく歩いてたどり着いたのは、駅前の美容院だった。
 割とどこの街でも見かける、シンプルな外観をしたチェーン店だ。
 ガラス張りの向こうの店内は、八割の席がお客さんで埋まっている。休日なこともありなかなか繁盛しているらしい。
 でも、こんなところに連れてこられても困る。
 高級店じゃないにせよ、外の料金表には払ったことのない値段のメニューが並んでいる。いつも千円カットの私には手を出せない価格帯。
 植村くんは店の前まで来ると、私の腕を掴んだまま振り向いた。

「俺が金払うから、俺の好きなオーダーにさせろ」

 え?
 植村くんの、好きな髪型……?
 言い返す隙も与えず、植村くんがドアを開ける。同時に、色とりどりの髪色をした美容師さんたちが全員手を止めて挨拶をした。

「ご来店ありがとうこざいます! こちらにお名前をお願いできますか?」
「はい。あの、こいつを廣永モモみたいな髪型にしてくれますか」
「……え⁉︎」

 まだ来店カードに名前も書いていないのに、植村くんがさっそく髪型を指定した。
 しかも、オーダーしたのはあの若手女優の廣永モモ。
 この前NHKの朝ドラを主演して、今は民放のドラマにも引っ張りだこの、今ノリに乗ってる女優さんだ。
 私と女優さんなんて似ても似つかないのに、そんな言い方、ひどすぎる。

「ちょっとやめてよ、恥ずかしい……」
「いいじゃん。俺ファンなの。あの髪型よくね?」
「なれますよー、モモちゃんに! かわいいですよねー」

 アッシュ系の髪色をした美容師さんが、私の今のおかしな髪型に言及せず対応を始める。
 あれよあれよという前に荷物を奪われ、質問票を書かされ、カウンセリング用らしい椅子に案内されてしまった。
 廣永モモにするってことは……顎上くらいの、ショートボブ。
 一番短く切られた髪に合わせると、それくらいになってしまうのは仕方がない。
 でも、今日までこの髪、大事に伸ばしてきたのに……。

「カレシさんはどうします? 二時間半くらいかかりますけど、ソファで待ってますか?」
「あ、俺ちょっと外ブラブラしてきますんで。その時間に戻ってきたらいいすか」
「大丈夫ですよー。大変身しますから、期待して待っていてくださいね」

 口を出すだけ出して、どこかに行ってしまった植村くん。
 なんなの? 植村くんだってアルバイトはしてないから、お金なんてないはずなのに。
 私の動揺も知らず、彼ワイルドですねぇなどと話し始める美容師さん。
 カレシという言葉を否定するのも面倒で、私は仕方なく、操り人形のように美容師さんの質問に答え続けた。


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