誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
先生と別れると、私は植村くんを引っ張って近場の公園へ向かった。
このまま帰ってもよかったのだけれど、どうしても気になってしまった。植村くんは中学の頃、私のことを知っていたのかどうか。
知っていたからといって、何がどうということではないのだけど……。
知っていたなら、なんで話してくれなかったのだろう。言ってくれてもよかったのに。池のほとりで交わした世間話の中で、話題のひとつとして出てきても不自然ではなかったはずなのに。
……そうだ。
私、神社の石段の前で植村くんの目を見た時、彼のことを知っているような気がしたんだ。
もしかしたら私たちは、校内のどこかですれ違っていたのかもしれない。
あの頃は金髪じゃなかったとしても、だらしない格好をしていたら印象に残るとは思う。目つきも鋭くて怖いから、廊下で見かけたらつい道を譲ってしまうかもしれない。
「塚っち、なんか調べてくれるといいなー」
土曜だというのに小さな公園には誰もいなくて、ぽつぽつとある遊具は乗り放題だった。
とはいえもう高校生の私はどれにも興味は湧かないのだけれど、植村くんはすぐにターゲットをブランコに決め、ひょいと座面に足を乗せた。
「中学……一緒だったんだね」
楽しそうに立ち漕ぎを始める植村くんを、ブランコの周りの柵に腰掛けて眺める。
同じ中学と知ってもやっぱり植村くんは違う世界を生きる人で、実感も湧かなければ、親近感も湧かなかった。
「そ。でも俺、お前のこと顔くらいしか知らなかったけどな。ホームの向こうでずっと、あれ同じ中学だったやつじゃんって思ってた。それだけで、別に話しかけるつもりはなかったんだけど」
「何で言ってくれなかったの?」
「別に、初対面みたいなもんだったし。聞かれなかったし」
そりゃ、聞かなかったけど。
顔しか知らない人でも、同じ中学で、同じ先生や行事を共有しているとわかっていたら、話したくなるものだと思っていた。
「……私が中学の頃いじめられてるの見てたから、声かけたの?」
やっぱり、単なる同情だったのだろうか。
植村くんが私にかまい続ける理由。
中学の頃だけならまだしも、高校生になってもいじめられている、同じ学校に通っていた生徒。そんな私があまりに不憫に見えて、声をかけた。
そして、呪いのせいで記憶を失うという不幸も上乗せされて、今、植村くんは私に付きまとっている。
そうだとすると、植村くんが躍起になって呪いを解こうとする理由もわからなくもない。
「いや、お前のいじめは知らなかった。俺よくサボってたし、ガッコ来ても寝てばっかだったしなぁ」
「あ、そう……」
授業中に机に伏して寝ている植村くんが容易に想像できて、呆れながら相槌を打った。
まぁ、他クラスの植村くんが私のいじめを知らなくても不思議ではないかもしれない。
多田さんは、大っぴらにいじめをすることはなかったから。ちゃんと内申のことは考えていて、特にひどいことをする時なんかは必ず先生や見ず知らずの生徒がいる場所を避けていた。
結局、植村くんってよくわからない。
何を考えてるのか。どんな人物なのか。
中学の頃はあんなにやんちゃだったのに、今はほとんど他人の私を助けている。
やっぱり、植村くんが私の呪いを解こうとしたがるのは自分なりの正義感なだけ?
そしてこんなにしつこいのは、ただの性格で……。
「俺、塚っちに結構お世話になっててさ」
植村くんがブランコの勢いをつける。
植村くんの脚力なら、そのままどこか遠くに飛んでいってしまいそうだ。
仮に飛んでいったとしても、植村くんならどんな場所でも飄々と生きていける気がした。
「中学の頃、いろいろ問題起こしてたから。どの先生も俺のことうざがってたけど、塚っちだけは違った。トラブル起こすたびに叱って、何度同じこと繰り返しても諦めないで、最後まで見届けてくれたんだよな。だから今回も、なんか助けてくれるかなーって思って電話してみたら、遠くじゃないなら顔出すわよって言われて」
「塚本先生……面倒見、いいからね」
「お前も世話んなったの?」
お尻に触れる、錆びて赤茶けた柵を強く握った。
〝そのほっぺ、どうしたの〟
中学の頃いじめを受けてた時。
頬に小さなアザを作った私を気にしてくれたのは、担任でもなんでもない、私のクラスの地理を担当している塚本先生だけだった。
〝本当に、ぶつけただけ?〟
〝先月も腕にアザなかった?〟
〝誰かにやられた……とかじゃなくて?〟
たまたま廊下で私を見かけた先生は、私を引っ張って保健室に連れていった。そしてその後も度々私に話しかけてくれるようになった。
きっと先生は、はっきりとはわからずとも私に何かが起きていることに勘づいていたのだと思う。
いじめ、とか、虐待、とか。先生のことだから、もしかしたら担任の先生にも話をしていたかもしれない。
でも私はもう、一度限界を迎えた時に担任の先生に相談しようとして、面倒くさそうな顔をされてしまった過去があったから。
塚本先生も結局は面倒に感じるかもしれないと思って、何も言えなかった。
それでも、たくさん話した。短い世間話に、最近の近況。すれ違う時には挨拶と、気遣う言葉をかけてくれた。
今でいう佐倉さんみたいに、たった一人、先生は私を見つけてくれた。
でも……。
〝笠井さん、植原くんを頼むわね〟
……先生、覚えてなかった。
私のこと、全部。不可解なアザのことやそれを心配してくれたこと、全部。
覚えてたら、あんな言葉は出なかったはずだ。あの頃も今も、私はとても弱々しくて言葉数も少なくて、何かを頼めるような存在じゃなかった。
むしろ植村くんに「笠井さんを頼むわね」と言いそうなくらい、心配される側の生徒だった。
先生は、私となんらかの交流があったことは覚えていても、それが私を気遣うものであったことは忘れていた。植村くんとは具体的なエピソードを話せるのに、私には当たり障りのない会話しか出てこなかった。
また、胸がずんと重くなっていく。
仕方ないことだとわかっているのに。