誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
*
「次なる策は、なんだろなぁ。この神社の管理人に池の話、聞いてみるとか?」
いつのまにか十一月も終わりに差し掛かり、マフラーをひとつ巻いて神社に到着した日曜日。
今日も私は勿忘の池の前で、植村くんと短いひと時を過ごしていた。
近頃の私たちは何をするでもなく、ただここにいるということが目的になっていた。
池への来訪者が来たら、植村くんが聞き込みをするけれど。それで有力な情報が得られるわけでもなく、大半はベンチに座って葉の落ちた木々を眺めるばかりだった。
記憶をつなぐには、ひとまず会い続けなければいけない。
それを達成したら、あとは少しの時間だらだらと過ごすだけの日々。
次の〝作戦〟もなかなか思いつかず、私たちは完全に行き詰まっていた。
「管理人……って、宮司さんですか? 宮司さんってそんなに簡単に会ってくれるのかな……」
「知らね。ぐうじって何? どんなやつ? 調べてよ」
やる気はないけど、仕方なくスマホを取り出す。井澄神社のウェブサイトにアクセスして、職員の情報か何かが載っていないか確認した。
この勿忘の池に通い出して二ヶ月が経つけれど、神社で仕事をしているような人を見かけたことはなかった。
規模の小さい神社だから、特別なイベントがある時くらいしか顔を出さないのかもしれない。
「植村くんって、よく次々と作戦が思いつくね……」
スマホをタップしながら呟く。
植村くんは眠そうに伸びをしながら、ベンチの縁までずるずると腰を下げた。
「そりゃー、真剣だからよ。お前も案出せ、バカ」
そんなことを言われても、作戦なんか考える気はなかった。
私がここにいるのは、呪いを解くためじゃない。植村くんと一緒にいるのが心地いいからだ。
植村くんは私を人として見てくれる。
お母さん以外の人で唯一、一人の人間として、私を正面から見て話してくれるから。それが心地いいだけ。
どうせ、呪いを解く方法なんて見つからない。私の願いが一度だけ叶ったのは神さまの気まぐれで、呪いを解く方法なんて本当はこの世に存在しない。
そう思うと、植村くんに会うことも気軽になった。
植村くんががんばっているのに、悪いとは思うけど……。
検索するのも気だるくなってきて、スマホを脇に置いた。
「……やっぱりわかんないや。宮司さんの情報は載ってないみたい」
「あー、もう頭うち! ちょっとでもヒント欲しい!」
植村くんが叫ぶ。その中の言葉、ヒント、という単語を聞いて、ふと思い出した。
そうだ。
ヒントってほどではないけれど。植村くんにまだ話してないことがあったんだ。
世間話のついでに、私は口を開いた。
「あの。そういえば……ここで何度か会った男の人がいるんだけど」
植村くんが体を起こす。
私は彼のことを思い出しながら、ゆっくりと言葉にした。
「その人は、どうしても叶えたい願いがあって、何年もここで願ってるんです。話を聞くと、すごく重い……強い、願いでした。でもずっと叶ってないみたいなんです。だから私、この池で願いを叶えるにあたって、想いの強さは関係ないような気がしてます。私のこの呪いは、私が死に物狂いで神さまに願っていたから特別に叶えてくれたのかなって思ってたけど……その人の願いも私には、強い想いがあるように感じました。でも叶ってないんです。だから……願いが叶う法則性の中に、願う強さは含まれないんじゃないかなって思うんです」
人の願いは、平等。強いも弱いもない。
そう思ってはいても、いじめられて、追い詰められていた私は特別だったんじゃないかと思っていた。
夜の勿忘の池でうずくまって、生きるか死ぬかを考えていたくらいだから。神さまも見かねて、私の願いを叶えてくれたんじゃないかと思った。
でも、あの男の人だって本気で苦しんでる。
きっと何度も泣いて、後悔して、長いこと前に進めずにいる。
もしかしたら、彼はああ見えて、彼女に暴力でも振るっていた悪い人なのかもしれないけれど。
そういう何かの理由があって、神さまが彼の願いを叶えないのかもしれないけれど……。
法則性はわからない。ただ、強く願えば叶う、という単純なものではないことはたしかだ。
私なりに考察していると、ふと植村くんが私の顔を覗き込んできた。
眉間に皺が寄っている。お決まりの、不機嫌な表情。
意味もわからずその顔を見返すと、植村くんは苛立ちをあらわに声を上げた。
「……はぁ?」
本気で睨まれて、さすがに怯んでしまう。
でも、植村くんの謎の怒りは止まらない。
「お前、俺が一所懸命池について調べてる間に、男と会ってるわけ?」
「……え?」
とんちんかんな返事が返ってきて、今度は呆気に取られた。
別に、会いたくて会っていたわけじゃない。
あの人とは、たまたま池で居合わせただけだ。それで、植村くんがいつも聞き込みをしていたから私も同じようにしただけ。
なのになぜか怒る、植村くん。
「だって、植村くんが調査してるから、私もって……」
「してるけど!」
植村くんは叫ぶと、いきなり立ち上がり頭をかきむしり始めた。
ワックスでわざとぼさぼさにしている髪が、さらにぐちゃぐちゃになっていく。そして、あー、あー、とわけのわからない言葉を発すると、急にこちらに戻ってきて、私を見下ろした。
「なんだそりゃ。あー、くだらね。やめやめ。こんなことしてても意味ない! どっかあったけーとこ行こうぜ」
そう言って、いきなり私の腕を引っ張り神社の方へと歩き出した。
早足の植村くんは私の歩幅だと追いつけない速度で、半分走りながらついていく。そんな私に気づいているはずなのに、それでも植村くんは速度を緩めず進んでいく。
わけがわからない。
協力したのだから喜ぶと思ったのに。私が調査したらいけないの?
ヒント、欲しがってたくせに。
だからあげただけなのに。
何を考えてるのか、さっぱりわからない……。
私はなすがまま、植村くんに引きずられるようについていった。
「次なる策は、なんだろなぁ。この神社の管理人に池の話、聞いてみるとか?」
いつのまにか十一月も終わりに差し掛かり、マフラーをひとつ巻いて神社に到着した日曜日。
今日も私は勿忘の池の前で、植村くんと短いひと時を過ごしていた。
近頃の私たちは何をするでもなく、ただここにいるということが目的になっていた。
池への来訪者が来たら、植村くんが聞き込みをするけれど。それで有力な情報が得られるわけでもなく、大半はベンチに座って葉の落ちた木々を眺めるばかりだった。
記憶をつなぐには、ひとまず会い続けなければいけない。
それを達成したら、あとは少しの時間だらだらと過ごすだけの日々。
次の〝作戦〟もなかなか思いつかず、私たちは完全に行き詰まっていた。
「管理人……って、宮司さんですか? 宮司さんってそんなに簡単に会ってくれるのかな……」
「知らね。ぐうじって何? どんなやつ? 調べてよ」
やる気はないけど、仕方なくスマホを取り出す。井澄神社のウェブサイトにアクセスして、職員の情報か何かが載っていないか確認した。
この勿忘の池に通い出して二ヶ月が経つけれど、神社で仕事をしているような人を見かけたことはなかった。
規模の小さい神社だから、特別なイベントがある時くらいしか顔を出さないのかもしれない。
「植村くんって、よく次々と作戦が思いつくね……」
スマホをタップしながら呟く。
植村くんは眠そうに伸びをしながら、ベンチの縁までずるずると腰を下げた。
「そりゃー、真剣だからよ。お前も案出せ、バカ」
そんなことを言われても、作戦なんか考える気はなかった。
私がここにいるのは、呪いを解くためじゃない。植村くんと一緒にいるのが心地いいからだ。
植村くんは私を人として見てくれる。
お母さん以外の人で唯一、一人の人間として、私を正面から見て話してくれるから。それが心地いいだけ。
どうせ、呪いを解く方法なんて見つからない。私の願いが一度だけ叶ったのは神さまの気まぐれで、呪いを解く方法なんて本当はこの世に存在しない。
そう思うと、植村くんに会うことも気軽になった。
植村くんががんばっているのに、悪いとは思うけど……。
検索するのも気だるくなってきて、スマホを脇に置いた。
「……やっぱりわかんないや。宮司さんの情報は載ってないみたい」
「あー、もう頭うち! ちょっとでもヒント欲しい!」
植村くんが叫ぶ。その中の言葉、ヒント、という単語を聞いて、ふと思い出した。
そうだ。
ヒントってほどではないけれど。植村くんにまだ話してないことがあったんだ。
世間話のついでに、私は口を開いた。
「あの。そういえば……ここで何度か会った男の人がいるんだけど」
植村くんが体を起こす。
私は彼のことを思い出しながら、ゆっくりと言葉にした。
「その人は、どうしても叶えたい願いがあって、何年もここで願ってるんです。話を聞くと、すごく重い……強い、願いでした。でもずっと叶ってないみたいなんです。だから私、この池で願いを叶えるにあたって、想いの強さは関係ないような気がしてます。私のこの呪いは、私が死に物狂いで神さまに願っていたから特別に叶えてくれたのかなって思ってたけど……その人の願いも私には、強い想いがあるように感じました。でも叶ってないんです。だから……願いが叶う法則性の中に、願う強さは含まれないんじゃないかなって思うんです」
人の願いは、平等。強いも弱いもない。
そう思ってはいても、いじめられて、追い詰められていた私は特別だったんじゃないかと思っていた。
夜の勿忘の池でうずくまって、生きるか死ぬかを考えていたくらいだから。神さまも見かねて、私の願いを叶えてくれたんじゃないかと思った。
でも、あの男の人だって本気で苦しんでる。
きっと何度も泣いて、後悔して、長いこと前に進めずにいる。
もしかしたら、彼はああ見えて、彼女に暴力でも振るっていた悪い人なのかもしれないけれど。
そういう何かの理由があって、神さまが彼の願いを叶えないのかもしれないけれど……。
法則性はわからない。ただ、強く願えば叶う、という単純なものではないことはたしかだ。
私なりに考察していると、ふと植村くんが私の顔を覗き込んできた。
眉間に皺が寄っている。お決まりの、不機嫌な表情。
意味もわからずその顔を見返すと、植村くんは苛立ちをあらわに声を上げた。
「……はぁ?」
本気で睨まれて、さすがに怯んでしまう。
でも、植村くんの謎の怒りは止まらない。
「お前、俺が一所懸命池について調べてる間に、男と会ってるわけ?」
「……え?」
とんちんかんな返事が返ってきて、今度は呆気に取られた。
別に、会いたくて会っていたわけじゃない。
あの人とは、たまたま池で居合わせただけだ。それで、植村くんがいつも聞き込みをしていたから私も同じようにしただけ。
なのになぜか怒る、植村くん。
「だって、植村くんが調査してるから、私もって……」
「してるけど!」
植村くんは叫ぶと、いきなり立ち上がり頭をかきむしり始めた。
ワックスでわざとぼさぼさにしている髪が、さらにぐちゃぐちゃになっていく。そして、あー、あー、とわけのわからない言葉を発すると、急にこちらに戻ってきて、私を見下ろした。
「なんだそりゃ。あー、くだらね。やめやめ。こんなことしてても意味ない! どっかあったけーとこ行こうぜ」
そう言って、いきなり私の腕を引っ張り神社の方へと歩き出した。
早足の植村くんは私の歩幅だと追いつけない速度で、半分走りながらついていく。そんな私に気づいているはずなのに、それでも植村くんは速度を緩めず進んでいく。
わけがわからない。
協力したのだから喜ぶと思ったのに。私が調査したらいけないの?
ヒント、欲しがってたくせに。
だからあげただけなのに。
何を考えてるのか、さっぱりわからない……。
私はなすがまま、植村くんに引きずられるようについていった。