誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
十分ほど歩いて到着したのは、小さな図書館だった。
作戦その4、らしい。街の図書館に来れば、勿忘の池に関する情報もあるかも、とのことだ。
やめやめ、と言っていた割には次の作戦に進む辺り、まだまじめさは残っていたらしい。でも、図書館の分室であるこの場所にはさほど本があるわけじゃなかった。
公民館に併設された小さな図書館。図書館というよりは図書室に近いこの一室は、一周回ってみたものの、メジャーどころの小説やいくつかの雑誌しか見当たらなかった。
大きな図書館に行けばそれなりに地元の情報があるかもしれないのに、疲れたからいいやという植村くんは、やっぱりやる気があるのかないのかわからない。
「……腹減った。昼メシ作ってよ」
それらしき情報も見当たらないので適当なレシピ本を眺めていると、横に座る植村くんが机に寝そべりながらページの端をつまんできた。
その手を払い退けて、今夜の献立の参考になりそうなメニューを探す。
「なんで私が。家に帰って食べなよ」
「炒飯食べたい。あれ。きゅうりが入ってるやつ……」
……きゅうり?
雑誌をめくる手が止まった。
「私……料理するって、言ったことあっけ」
植村くんとは今まで、池のほとりのベンチでいろいろなことを話してきた。でも私は自分のことはあまり話さなかったし、私かお母さんに料理を作ってることを話した覚えはない。
植村くんもふと、不思議そうな顔をして上半身を起こした。
「……いや。だって……そんな雑誌読んでるし。日曜にお前の家に行った時、朝っぱらから換気扇からいい匂いがしてたから」
この前の日曜日、私がお母さんに作った朝ご飯は鮭のバター蒸し、野菜多めのお味噌汁、ほうれん草のごま和えと私の中では豪華な品揃えだった。昨日の残りも合わせていろいろ作れたから、匂いも充分外に漏れていただろう。
でも、普通なら私じゃなくて親が作ったものだと思わないだろうか。
高校生が料理をするって、そんなに普通のことなのだろうか。
なんだろう。
何か……変な感じがする。
植村くんを見つめる。彼はお腹が空きすぎたのか、自分の腕を枕にしてこちらを向いたまま目をつむっていた。
近い距離。机の向かいに座ればいいのに、彼はいつも真横に座る。
この人の距離感は、いつもおかしいと思う。
立ち入って欲しくないパーソナルスペースにずかずかと入り込んで、部屋を荒らしていく。
そういう行動は、性格とリンクしていると感じる。
「……それにしても、お前の呪いって不思議だよなぁ」
ふと植村くんが目を開けて、眠そうな目で私を見つめた。
雑誌から目を離して、ちらりと植村くんを見る。
「次の日の夜に忘れられるけど、お前の全部を忘れられるわけじゃないんだろ。相手が生徒なら、お前がクラスメイトだってことはちゃんと覚えてる。それってなんかおかしくね?」
左肘を枕にして、また雑誌の端をいじり始める植村くん。
その視線は何かを考え込んでいるように、焦点が定まっていない。
「何が?」
「だってお前、池で〝みんな、私のことなんて忘れてしまえばいいのに〟って言ったんだろ。それを叶えるとしたら、変なルールなんてつけないで、お前の存在丸ごと記憶から消す方が自然な気がする」
植村くんの言葉に、少し考えてから答えた。
「だって……そんなことになったら私、生きていけないよ。先生も生徒も私のこと完全に忘れちゃってたら、私、毎朝部外者が学校に来たって騒がれる。それに、お母さんが私を娘だってことを忘れたら生活していけない。家族だった記憶がないんじゃ、家を追い出されるかもしれないし……。その辺は考慮してくれたんじゃない?」
「神さまってそこまで気を利かせてくれるもんかね」
植村くんが起き上がり、頬杖をつく。
また植村くんの探偵ごっこが始まった。