誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
「いや、気を利かせてくれるっていうか……もっと、残酷なことしてる気がするな」

 天井で光る橙色のライトを見上げ、トントンと机を叩く。
 正確なリズムが、真剣に考察している様子を表している。

「完全に忘れられるわけじゃないから、生きてはいける。毎日人に会い続ければ、相手の記憶はなんとか保てる。けど……それって完全に忘れられるよりもつらいんじゃねーかな」

 植村くんの指の動きが止まった。

「仮に親の記憶がなくなっても、一応基本情報は残っているはずだから親としてお前の生活は補償してくれるだろ。でも、思い出は忘れてる。もしかしたら、愛情もなくなってるかも。そのショックは大きすぎるだろ。最初から全部忘れられたら諦めもつくけど、何年も築き上げてきた人との関係性を忘れられて、消えた思い出をまた構築し直すなんてキツすぎる。大切な人と思い出を、積み上げては壊されて、積み上げては壊されて……。たしかに生きてはいけるけど、生き地獄だ。孤独になるにはうってつけの呪いだよ」

 雑誌をそっと閉じ、私も何をするでもなく天井を見上げた。
 この呪いは、私の救いだった。
 一週間ごとに忘れられるから多田さんからは距離を置きやすいし、一方でお母さんには覚えてもらえる。私の状況を改善するのに、最高の叶え方だと思った。
 でも、違う。
 この先の未来を考えると、地獄が待ってる。
 破滅へと進んでいく道なんだ……。
 私の願い方が曖昧だったせいもあるかもしれないけれど。
 植村くんの言う通り、これは本当に〝呪い〟なのかもしれない。

「いつか、お前のことを理解してくれるやつが毎日そばにいてくれるようになるかもしれない。でも会ってる期間が長ければ長いほど、不安に苛まれていくんだよな。いつか忘れられるんじゃないか、明日記憶が消えてしまうんじゃないかって。いつか幸せに暮らせる日が来たとしても、その暮らしに自分以外の人間がいたとしたら、ずっと怯えて生きていかなきゃいけないんだ」

 ぎゅっと唇を結んだ。
 その話は、まるまる今の植村くんのことでもあった。
 たった二ヶ月だけれど、ずっと一緒にいた。それが一日離れただけで終わってしまうのは、今となっては寂しさを感じてしまうかもしれない。
 それ以上に、お母さんのこと。
 お母さんに忘れられたら、私はこの先生きていけないだろう。
 お母さんと私の写真や動画はたくさん残っていても、お母さんは私との思い出を何ひとつ覚えていない。私と過ごした日々も想いもまっさらになり、ただ〝この子は私の娘である〟という事実だけが残ったとしたら、お母さんはそれでも私を愛してくれるのだろうか。
 いつかそんな日が来たら……考えるだけでぞっとしてしまう。
 これは、そんなひどい呪いなんだ。
 神様なら、そんなことしない?
 こんな大きなリスクを背負わせてまで、願いを叶えようとする? 本当なら手っ取り早く、いじめっこだけを更生させるようにしてくれるんじゃない?
 でも、私の〝多田さんたちにこれ以上いじめられませんように〟という願いは叶えてくれなかった。
 わからない……。
 ただ、自分の置かれた状況に、より深刻さが増したような気がした。

「……だからさ。真剣に考えようぜ。お前の呪いの解き方を」

 返事はできなかった。
 でも、植村くんがまるで自分のことのように考えてくれるから。
 私も何か、変わらなきゃいけないのかもしれない……そう思い始めていた。


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