誰もいないこの世界で、君だけがここにいた



 それから、夜になるまで私たちはいろいろなことを話した。
 入院環境のことや、最近のお母さんのお仕事のこと。私の学校のことや、勉強のこと。
 いつもすれ違いの毎日で、朝と夜の短い時間しか顔を合わせられない私たちは、久しぶりに親子らしい会話をしたような気がした。
 今日は病院にずっといるつもりで、勉強道具も持ってきた。
 お母さんが検査に行ったり、疲れてうとうとし始めたら勉強をする。そうしてずっと二人でいると、まだ学校にも行っていない小さな頃に戻った気がしてうれしかった。
 夜の食事が運ばれてきて、おいしいから食べてみなよとスプーンを差し出す母さんにそんなことしちゃだめなのと拒否しながら、食事風景を眺めていた。

「学校では今、何が流行ってるの?」

 ちょうど夜のニュース番組で、女子高生の間で流行っているアプリの特集をやっている。
 イヤホンをしていないので今は音は聞こえないけれど、テレビの向こうで制服を着た女の子が二人、スマホの前で踊っていた。

「こういう、短い音楽に乗せて友達とダンスを踊るのは流行ってるよ。その動画をSNSにあげるの」
「へぇ。栞莉もやってるの?」
「ううん。ネットに顔出すなんて恥ずかしいもん。見てるだけ」

 こういう話をする時、私の喋る言葉はすべてうそになる。お母さんを心配させないための、〝こうだったらいいのに〟が詰まった妄想話。
 でもひとつだけ、お母さんに話せる本当の話を思い出した。

「あと、流行ってるのは……神社に行くこと、かな」

 お母さんが意外そうな顔で私を見つめた。

「神社? 渋いのねぇ。御朱印集めなんか流行ってるらしいものね。じゃあ栞莉、最近は少しは遠出してるの?」
「ううん。巡るやつじゃなくてね、高校のそばにある神社に友達と集まるの。居心地がいい池があってね。そこで……友達と、どうでもいい話を延々してるのが、楽しくて」

 本当に、どうでもいい話。
 身になる話なんかひとつもしていない。
 でも、どうでもいい話を延々とできることこそが、親しい人との条件なのかもしれない。

〝あー、今日も暑ちーな。瞑想でもすっかぁ。なんだっけ、あれ、なんとかほんとかで火もまた涼しーってやつ〟
〝お前、やっぱボブ似合うよなぁ。廣永モモ目指したら? たぶんボブが似合う女は全員女優になれるから〟
〝俺じーちゃんに勉強専念って言われてバイト禁止されてんだけどさ、おかげでお小遣い一日百円なんだけど。鬼くね?〟

 勿忘(ワスレナ)の池に行っていたのは流行りなんかじゃなくて、ただの強制。
 でもそれはいい思い出として、たしかに私の中に残っていた。
 明日、植村くんとのつながりが切れたとしても、私の心には永遠に残る思い出。
 中身のない、でもかけがえのない、私だけの思い出。

「そっかぁ、楽しそう。お母さんも今度連れていってよ」
「いいけど、お母さん土日仕事ばっかじゃん」
「そうよねぇ……。有給使おう。今まではみんなのこと考えて有給使うのにちょっと気が引けてたんだけど、これからはちゃんと休まなきゃ。体のためにもだし、栞莉ともっと一緒にいたいものね」

 お母さんと一緒に、神社へ。
 神社だけじゃない……バイトをしてお金を貯めたら、一緒に小旅行なんかもできるかもしれない。おいしいお店でご飯を食べて、映画を見て、知らない美術館にでも行って。
 そんな未来を思い描いたら、泣きそうなくらい幸せな気持ちに包まれた。
 実現させたい。いや、させたいじゃなくて、させよう。絶対。
 そのあともトランプをしたり、イヤホンを半分こしてバラエティを見たりした。
 そうしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
 もうすぐ面会時間が終わりの時間。
 なんだか夢から覚めるみたいで、切なくなってしまう。

「あぁ、今日は甘えちゃったなぁ。久しぶりに栞莉とゆっくりできて楽しかった。でも、明日はいいわよ。日曜なんだからゆっくり家で休んで」
「明日も来るから!」

 反射的に大きな声が出て、慌てて口元を押さえた。
 カーテンを開けてお隣さんが睨んでくるかと思ったけれど、部屋は先ほどから寝息の声が充満している。
 しばらく静かにしていると、お母さんが、ふふ、と笑った。

「ごめんね。栞莉が親離れできないのは、私が子離れできてないからなのかな」
「……親離れ、した方がいい?」
「そうじゃないけど。栞莉はいつもやさしくて、反抗期もなかったからちょっと心配なだけよ」

 帰り支度を整えてショルダーバッグを背負ったものの、動けなくなってしまった。
 こんな時に、お母さんが大事な話をし出すから。
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