誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
一時間目が始まる前にトイレで髪をすすぎ、休み時間のたびにブレザーを拭いて臭いをごまかしながら一日を過ごした。
そして、ただひたすら放課後が来るのを待つ。でも一度始まった嫌がらせは月曜になるまで止まったことなんてないから、今日も一日中ヒソヒソ話に晒され続けた。
足を引っかけられて、転ばないように。
配られたプリントを机から離れた隙に持っていかれないように気をつけながらの、六時間半。
やっとの思いで帰りのホームルームが終わると、すべての災厄から逃れるように、誰よりも早く教室を出た。
明日から二連休。
私は家に閉じこもり、クラスメイト全員から自分の記憶が消え去るの待つ。
来週はいじめがない週だといい。
たった一人、黙々と授業を受けるだけの五日間になるといい。
いじめの主犯格である、多田さんを刺激しないように。いじめが再発しないよう気にしながら、静かな、淡々とした日々を過ごせたらそれでいい。
スリッパを返して下駄箱へ走っていると、まだブレザーが臭っているのに気づいた。涼しい教室を出て廊下に出ると、制服は多田さんからやられた仕打ちを思い出したかのように私に抗議してくる。
その臭いを我慢しながら足早に校門へと向かった。
お母さんが帰ってくる前に、早く制服を洗って乾かしておかなきゃ。
お母さんはいつもおっとりしているくせに、私のこととなると察しがいいから。
クラスメイトに嫌がらせを受けているなんて、知られて不安にさせたくない。制服を見られないように、気をつけないと……。
その時、門の向こうにひときわ目立つ金髪の人影が見えた。
思わず歩幅を緩めて、その後ろ姿を見つめる。
門の隙間から見える、だらしなく腰履きしてきるズボン。
垂れ下がったベルトに、猫背の背中。
通り過ぎる生徒たちが、彼を避けるようにそろって右端を歩いている。避けられているのは他校の生徒がいるから、だけじゃなくて、その見た目の悪さゆえだろう。
朝、駅のホームで声をかけてきた不良だ。
なんでいるの?
思わず足を止めて、遠巻きに彼を観察した。
彼が着ているのは、北高の制服。北高はここからだとたしか四駅くらい離れてるから、この時間にこの場所にいるということは授業をサボったのかもしれない。
まさか、私に会いに?
授業を抜け出してまで?
……いや。
別に私に用事があって来たとは限らない。
たしかに私は今朝彼に話しかけられたけれど、だからって今更彼が私に会いたがる理由は思いつかない。もしかしたら、私とは関係のない誰かを待っていて、そこに立っているだけなのかもしれない。
だから、大丈夫。
他の生徒にまぎれてさりげなく通り過ぎてしまえばいい。
そう思い直して、歩き出した。
だけれど彼は、私の顔を見つけるとぱっと目を開いて両手を振ってくる。
「あ、いたいた。おーい、お前」
あぁ。……やっぱり、私、か……。
肩を落としつつ、早足で彼の元に近寄った。
おそらく、彼も私と同じで制服から学校を割り出したのだろう。でも、なんで。なんのために。
彼の元まで来たものの、背中に刺さる他の生徒たちの視線が痛い。
わざと険しい顔をしたまま、足を止めずに通学路を進んだ。
「……なんでここにいるんですか」
ついてくる男の子に、つい苛立ち混じりで聞く。
もしかしたら、彼とはまたいつか駅ですれ違うかもとは思っていた。
でも明日から二連休だから、彼の中の私に関する記憶は消える。だから問題ないと思っていたのに。
男の子は私の横に並ぶと、平然と言いのけた。
「だって。俺、そのうちあの駅員のねーちゃんみたいにお前のこと忘れるんだろ? だから、忘れる前に会わなきゃと思って」