誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
「……は?」

 呆気にとられ、立ち止まってしまった。
 思わず、不可解な視線を彼にぶつけてしまう。彼がタチの悪そうな不良だということも忘れて、ついじっとその目を見つめてしまう。
 でも彼は何も感じていない様子で、動じることなく私の視線を受け止めていた。
 ……たしかに。
 〝時間が経つと記憶が消される〟とは、言ったけど。
 その話、信じたの?
 赤の他人の、うそみたいな話を?
 あんなバカみたいな呟き、聞き流されると思った。そうわかっていたから口にしたのだ。
 記憶が消える、なんて、そんなありえない話。選挙前だけすり寄ってくる、悪徳政治家の演説の方がまだ信じられる。
 なのに、信じたうえに、忘れる前に会いにきた……って。
 なんのために?
 私が何も言えずにいると、男の子が先に話し出した。

「あのあと駅員のねーちゃんに聞いたんだよ。おとといもあの女子高生にタオル貸しただろって。でも、知らないってさ。はじめて見る顔だって。おとといのお前、頭からびっしょびしょで、誰がどう見てもひどいありさまだったのに。たった二日であんな大事件忘れるなんて、なんかおかしいんだよな」

 男の子は顎に手を当てて、探偵気取りで考え込んでいる。
 そしてふと、私の目をじっと覗き込んできた。

「忘れるって、どういう原理?」

 思わず、ぐ、と体を引く。
 彼の、〝気になるから聞きにきた〟というどうでもいい真意が判明して、なぜかふつふつと怒りが込み上げてきた。
 くだらない。
 そんなこと、聞きに来たの?
 学校サボって、こんなところで待ち伏せまでして。
 おもしろ半分で、興味本位で。
 ただただ、このおかしな現象の理由を知るために……。
 思わず、その問いに返事をせずに歩き始めた。
 早く帰って、制服を洗いたい。それに晩ご飯の用意もしなきゃならないし、部屋の掃除もある。くだらないことにかまってる時間なんてない。
 でも、黙っていても彼は当然と言わんばかりに横に並んでついてくる。
 なんでそんなに知りたがるのかわからない。

「おい、無視すんなよ。教えろって」
「知りません……。そんなこと知って、あなたになんの得があるんですか」
「得はないけど。だって気になるだろ。人に忘れられるなんて、そんなヤツ聞いたことない」
「存在感が薄いから忘れられるんじゃないですか」

 適当に流してみるものの、彼は変わらずついてくる。しつこい人だ。
 気づくと、駅に到着してしまった。
 今朝コーラをかけられた、学校の最寄駅。私の家はここから三駅先のところにある。
 彼が朝、私と逆方向のホームにいたということは帰りも逆のはず。
 ということは、駅に入ればさよならだ。
 でもこのままだとこの人も同じ電車に乗り込んで来そうで、怖い。
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