誰もいないこの世界で、君だけがここにいた
「……あの。いい加減にしてください」
また立ち止まって、今度はまじめに向き合った。
それでももちろん彼は怯まない。不良の彼が私みたいな小娘の言葉で引き下がるとは到底思えない。
だからといって、家までついてこられでもしたら面倒だ。
「あなたに話すことなんて何もないですから。これ以上ついてくると警察呼びますよ」
「いーじゃん、話すくらい。減るもんじゃないし」
「なんで……」
なんでそんなに気になるのかわからない。
他人のことなんて、どうでもいいはずなのに。
不良というのは自分の思う通りに進まないと気がすまない人種なのだろうか。それともこの人がただしつこい気質なだけか。
あれこれと考えて、はっとした。
——あぁ、そうか。
「……いい、ネタですもんね」
男の子が訝しげに眉をひそめる。
一方で、私は妙に納得して、小さく笑ってしまった。
「そうですよね……。本当にそんな人がいたら、いい話のネタですから。SNSにでも投稿したら話題になるかもしれない。ネットニュースにも取り上げられるかも……。そうやって人のこと、暇つぶしの話題に」
「ちげーよ」
すぐさま否定されて、笑みが消えた。
男の子は先ほどと打って変わって、真剣な表情になっている。
「……人に忘れられるなんて、そんなの悲しいだろ。俺も、気づかないうちにあんたのこときれいさっぱり忘れてるなんて、想像したらなんか怖ぇーなって思った。だから気になったの」
……悲しい?
怖い?
なんで?
さらに理解しがたい言葉が返ってきて、なんと返せばいいのかわからなくなってしまった。
全然わからない。悲しいって……なんで。
別に私は、悲しいなんて思ったことはない。
むしろクラスメイトに自分のいじめのことを忘れられて、幸せなくらいだ。
仮に忘れられることが悲しいことだとしても、あなたが私のことを気にする必要なんてどこにもない。ましてや、忘れる側のあなたが怖がる理由なんてひとつもないのに。
私はホームの向こうでたまに嫌がらせを受けている、ただの他人。
あなたには一ミリも関係ないし、どうせ来週には忘れてしまう。
「……知ったふうなこと言わないで。私は別に、悲しくなんて」
「悲しそうな顔してた」
間髪入れずに打ち返され、つい口をつぐんでしまった。
「今朝、駅員のねーちゃんに声かけられた時。おとといと同じ、あなたどうしたの、なんて話しかけられたくせに、あの人なんも覚えてない感じでさ。お前の顔が一瞬こわばったの、見えた。……本当は悲しかったんだろ」
悲しそう、に……?
そんな顔、してない。
悲しいなんて、感じてもない。
駅員さんに忘れられようが、どうでもいい。だって、ただの他人なんだから。
駅員さんに忘れられようが、あなたに忘れられようが、私はなんとも思わない。
「だから、さ。なんか困ってんなら事情が聞きたいなと思っただけ。……まぁ、そんなに嫌ならいいけど」
男の子はふてくされたように、ふいと横を向いた。
駅前の大通りの隅、無言で向かい合っている私たちを通りすがりの人たちがじろじろと見ていた。
どこかでバスのアナウンスの声がしている。自動車のクラクションが鳴って、横断歩道を急いで渡る人たちの足音が響いている。
スカートの横で、小さく握り拳を作った。
なぜかはわからないけれど、言い負かされたような気がして悔しかった。
私は悲しいなんて思ってない。
記憶をなくされて困ってることだって、何もない。
……今日まで何度もいじめを受けてきたけれど、できる限り平常心でやり過ごしてきたのに。
なんだか久しぶりに腹が立っているのはなぜだろう。
「……偽善者」
呟くと、男の子は威嚇的な私の視線を軽く受け流して、首を捻ってみせるだけだった。
不良の人は普通の人より正義感が強いとかいうけれど、本当だろうか。
バカみたい。
勝手に人のこと悲しんでるって思い込んで。
話を聞いてあげて、助けた気になって優越感に浸ろうとする。
結局は自分がいい気持ちになりたいだけ。不良のくせに、いいヒトを気取りたいだけ。
そういう人間が、一番きらい……。
肺の奥から一気にストレスを吐き出すと、また歩き出した。
向かうのは駅ではなく、その先の道。駅前のロータリーを抜けて、さらに学校から離れるように歩いていく。
男の子はやっぱり私のあとをついてきた。
その彼に何も言わず、私は歩き続けた。
……何か困ってるなら、だって。
そんなの、絶対うそ。彼の頭には、ただの薄っぺらい正義感と好奇心があるだけだ。
だって、人に忘れられるなんてありえない現象、彼くらいの年代の人が興味を持たないはずがない。
インターネットで常に新しい話題を探している現代の若者が、こんなおもしろそうな話に食いつかないわけがない。
うっかり口にしなければよかった。面倒な人に絡まれてしまった。
でも、どうせ何を言ったって、あさってには忘れるんだから……。
もう残暑とはいえ厳しい炎天下の中、私はひたすら歩き続けた。
ある、目的の場所へ。学校の最寄り駅から少し離れた、私の馴染みの場所へ。
それは駅前の喧騒から離れた住宅街にある。
ふと家の波が途切れたかと思うと、高台の上に林が見えてくる。石段の先に古ぼけた鳥居が見えて、それを目指してゆっくりと上がっていく。
井澄神社。
ここが、目的地。
「……え。お前んち、神社なの?」
首を振って、その先へと進んだ。
神社の脇を通って、さらに奥へ進む。石畳の道は砂利道へと変わり、やがて雑木林の中を進む土道となる。
数分ほど歩いた、先。
道の突き当たりに小さな池があった。
水面に落ち葉と睡蓮が浮いている、静かな池。辺りには背の低い木が生い茂っていて、まだ夕暮れ時なのに夜が訪れたかのように薄暗い。
頭に触れるほどに茂った葉を避けつつ、真っ赤な手すりに近寄った。
「……嫌なことがあったら、いつもここに来るんです」
そう呟くと、男の子はあぁ、と声を漏らした。
「ここって有名な場所だよな。なんだっけ。あ、〝勿忘の池〟か」
また立ち止まって、今度はまじめに向き合った。
それでももちろん彼は怯まない。不良の彼が私みたいな小娘の言葉で引き下がるとは到底思えない。
だからといって、家までついてこられでもしたら面倒だ。
「あなたに話すことなんて何もないですから。これ以上ついてくると警察呼びますよ」
「いーじゃん、話すくらい。減るもんじゃないし」
「なんで……」
なんでそんなに気になるのかわからない。
他人のことなんて、どうでもいいはずなのに。
不良というのは自分の思う通りに進まないと気がすまない人種なのだろうか。それともこの人がただしつこい気質なだけか。
あれこれと考えて、はっとした。
——あぁ、そうか。
「……いい、ネタですもんね」
男の子が訝しげに眉をひそめる。
一方で、私は妙に納得して、小さく笑ってしまった。
「そうですよね……。本当にそんな人がいたら、いい話のネタですから。SNSにでも投稿したら話題になるかもしれない。ネットニュースにも取り上げられるかも……。そうやって人のこと、暇つぶしの話題に」
「ちげーよ」
すぐさま否定されて、笑みが消えた。
男の子は先ほどと打って変わって、真剣な表情になっている。
「……人に忘れられるなんて、そんなの悲しいだろ。俺も、気づかないうちにあんたのこときれいさっぱり忘れてるなんて、想像したらなんか怖ぇーなって思った。だから気になったの」
……悲しい?
怖い?
なんで?
さらに理解しがたい言葉が返ってきて、なんと返せばいいのかわからなくなってしまった。
全然わからない。悲しいって……なんで。
別に私は、悲しいなんて思ったことはない。
むしろクラスメイトに自分のいじめのことを忘れられて、幸せなくらいだ。
仮に忘れられることが悲しいことだとしても、あなたが私のことを気にする必要なんてどこにもない。ましてや、忘れる側のあなたが怖がる理由なんてひとつもないのに。
私はホームの向こうでたまに嫌がらせを受けている、ただの他人。
あなたには一ミリも関係ないし、どうせ来週には忘れてしまう。
「……知ったふうなこと言わないで。私は別に、悲しくなんて」
「悲しそうな顔してた」
間髪入れずに打ち返され、つい口をつぐんでしまった。
「今朝、駅員のねーちゃんに声かけられた時。おとといと同じ、あなたどうしたの、なんて話しかけられたくせに、あの人なんも覚えてない感じでさ。お前の顔が一瞬こわばったの、見えた。……本当は悲しかったんだろ」
悲しそう、に……?
そんな顔、してない。
悲しいなんて、感じてもない。
駅員さんに忘れられようが、どうでもいい。だって、ただの他人なんだから。
駅員さんに忘れられようが、あなたに忘れられようが、私はなんとも思わない。
「だから、さ。なんか困ってんなら事情が聞きたいなと思っただけ。……まぁ、そんなに嫌ならいいけど」
男の子はふてくされたように、ふいと横を向いた。
駅前の大通りの隅、無言で向かい合っている私たちを通りすがりの人たちがじろじろと見ていた。
どこかでバスのアナウンスの声がしている。自動車のクラクションが鳴って、横断歩道を急いで渡る人たちの足音が響いている。
スカートの横で、小さく握り拳を作った。
なぜかはわからないけれど、言い負かされたような気がして悔しかった。
私は悲しいなんて思ってない。
記憶をなくされて困ってることだって、何もない。
……今日まで何度もいじめを受けてきたけれど、できる限り平常心でやり過ごしてきたのに。
なんだか久しぶりに腹が立っているのはなぜだろう。
「……偽善者」
呟くと、男の子は威嚇的な私の視線を軽く受け流して、首を捻ってみせるだけだった。
不良の人は普通の人より正義感が強いとかいうけれど、本当だろうか。
バカみたい。
勝手に人のこと悲しんでるって思い込んで。
話を聞いてあげて、助けた気になって優越感に浸ろうとする。
結局は自分がいい気持ちになりたいだけ。不良のくせに、いいヒトを気取りたいだけ。
そういう人間が、一番きらい……。
肺の奥から一気にストレスを吐き出すと、また歩き出した。
向かうのは駅ではなく、その先の道。駅前のロータリーを抜けて、さらに学校から離れるように歩いていく。
男の子はやっぱり私のあとをついてきた。
その彼に何も言わず、私は歩き続けた。
……何か困ってるなら、だって。
そんなの、絶対うそ。彼の頭には、ただの薄っぺらい正義感と好奇心があるだけだ。
だって、人に忘れられるなんてありえない現象、彼くらいの年代の人が興味を持たないはずがない。
インターネットで常に新しい話題を探している現代の若者が、こんなおもしろそうな話に食いつかないわけがない。
うっかり口にしなければよかった。面倒な人に絡まれてしまった。
でも、どうせ何を言ったって、あさってには忘れるんだから……。
もう残暑とはいえ厳しい炎天下の中、私はひたすら歩き続けた。
ある、目的の場所へ。学校の最寄り駅から少し離れた、私の馴染みの場所へ。
それは駅前の喧騒から離れた住宅街にある。
ふと家の波が途切れたかと思うと、高台の上に林が見えてくる。石段の先に古ぼけた鳥居が見えて、それを目指してゆっくりと上がっていく。
井澄神社。
ここが、目的地。
「……え。お前んち、神社なの?」
首を振って、その先へと進んだ。
神社の脇を通って、さらに奥へ進む。石畳の道は砂利道へと変わり、やがて雑木林の中を進む土道となる。
数分ほど歩いた、先。
道の突き当たりに小さな池があった。
水面に落ち葉と睡蓮が浮いている、静かな池。辺りには背の低い木が生い茂っていて、まだ夕暮れ時なのに夜が訪れたかのように薄暗い。
頭に触れるほどに茂った葉を避けつつ、真っ赤な手すりに近寄った。
「……嫌なことがあったら、いつもここに来るんです」
そう呟くと、男の子はあぁ、と声を漏らした。
「ここって有名な場所だよな。なんだっけ。あ、〝勿忘の池〟か」