面倒な恋人
慎也さんは自由になっていいだろうけど、日本に残された私はたまらない。
これ以上は無理だと思っていたら、圭一郎おじさんからも頼られてしまった。
「美琴の気持ちが落ち着くようにそばにいてやってくれないか」
このまま落ち込んでしまったら、美琴さんの演奏活動にも影響があるようだ。
約束していた『自然消滅』を早くして欲しいと思っても、慎也さんからの連絡は途絶えがちになってきた。
(慎也さんに任せておけば大丈夫だと思っていたのに)
河村家の管理を任されている父までが、プレッシャーをかけてくる。
「明凛が美琴さんから信頼されているから仕事がはかどるよ」
父は美琴さんが浪費をしなくなったと喜んでいる。
(慎也さんの恋人じゃないのに、こんなことになってどうしたらいいの?)
そう思いながらも、私はやつれた美琴さんを放っておけなかった。
『慎也さんの恋人』として誘われるまま出かけたり、美琴さんの話し相手になったりするしかなかった。
ただ唯仁だけは私が美琴さんといると、あからさまに嫌そうな顔をした。
唯仁は難関大学に進んで、のびのびと学生生活を楽しんでいるらしい。
背が高くてスポーツが得意な唯仁は、大学でかなり人気があるそうだ。
美琴さんに頼まれて焼いたケーキを食べる時も無言。
屋敷の中で話しかけても、おざなりに返事をするだけ。
(私、唯仁にかなり嫌われているんだ……)
『ニセの恋人』を引き受けてしまった私は、大切な幼なじみを失ってしまったようで胸の奥が痛かった。
美琴さんとお茶をしていると、たまに唯仁の噂を聞かされることがある。
「唯仁ったら、また恋人が変わったのよ」
「そうなんですか」
「困った子よね。長続きしなくて」
私は恋人と自由に過ごしている唯仁が羨ましかった。
慎也さんに頼まれたら断れなくて、両親の希望にも答えたくて、結局がんじがらめになっている私とは真逆の生き方に思えたのだ。
***
大学卒業後、私は私立の小学校の教師になったのをきっかけに家を出てマンションでのひとり暮らしを始めた。
両親や兄は反対したけど、やっと自立できる年になったからと説き伏せた。
唯仁は美琴さんのお父さん、つまり彼のお祖父さんが社長を務める大手広告代理店へ就職して屋敷を出ていった。
考えてみたら、唯仁は将来を約束された御曹司なのだ。きっとこれからはエリート街道を進むのだろう。
慎也さんは作曲の勉強が忙しいのか帰国することがなかったので、ずっと会えないままだ。
父が河村家の仕事をしていることに変わりはないが、私が美琴さんと出かけることはなくなった。
美琴さんもようやく息子離れができたのか、仕事も順調だし穏やかに過ごしているようだ。
(やっと解放された……)
今になって思えば、あの時どうして慎也さんがタイプだなんて言ってしまったのか記憶が曖昧だ。
恋なんてしないと決めていたのに、兄や唯仁に馬鹿にされた反動だったのかもしれない。
慎也さんが結婚したのなら、もう私と河村家をつなぐものは何もない。
(嘘をついていたことは、いつかキチンと謝らないと)
でも、胸の奥にやるせない想いが残っているのはなぜだろう。
(恋人でもないのに、唯仁に抱かれてしまったから?)
幼い頃の楽しかった日々を思い出すと、キラキラした時間がもう戻ってこない寂しさがこみ上げる。
(それを失った……)
あの日々は夢だったと思うことにしよう。
四人で仲よく過ごした思い出を、私はそっと胸の中にしまい込んだ。