面倒な恋人
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うつらうつらと幼い頃からの長い夢を追っていたら、いつの間にか正午をすぎていた。
(バカだな、私って……)
今度こそきちんとシャワーを浴びて、全身くまなく洗い上げた。
バスルームの鏡に映る身体をよく見たら、あちこちに昨夜の名残が残っている。
うっすらと赤いのは、唯仁から受けたキスのあとだろう。
関節の痛みや唇の腫れは少しおさまったような気がするが、気怠さまでは拭いきれない。
唯仁が無理強いしたわけでも、私が酔っていたからでもない。
なにか通じるものが、唯仁にもあったように思えてしまう。
(温もりが欲しかった)
生まれて初めて感じた気持ちだった。
私は男の人に抱かれるのは初めてだから、唯仁はなにも言わなかっけど気がついていたと思う。
だって、とても優しかった。
『ひとりぼっちの家に帰りたくないな……』
私が漏らした言葉を、唯仁は黙って受け止めてくれた。
それだけのことだ。
唯仁は慣れているのかもしれない。
たまたま相手にしたのが私で、初めてだったというだけだ。
私が慎也さんの結婚を知って傷ついたと思ったのだろう。唯仁にとって、あれは単なる慰めのようなものかもしれない。
ふと、思い出の楽譜を出してみた。
慎也さんが私に作ってくれた曲は、左手の規則正しいアルペジオに乗せて、右手でメロディーをつないでいくものだ。
穏やかだけどどこか頼りなげな旋律は、慎也さんの性格に似ている気がする。
子どもの頃には優しい人だと思っていた。だから頼まれた時にも断れなかった。
でも慎也さんが大切なのは自分だけ。
私に『美琴さん支えて欲しい』って頼んだことなんか、もう忘れてしまったのだろう。
(今ごろ、美琴さんどうしているかな)
慎也さんが結婚したと聞いて、また精神的ダメージをうけているんじゃないかと心配になってきた。
(でも、もう私はなにもできない)
ピアノを弾いているうちに、ポロリと涙がこぼれてきた。
(あ、私……泣いてる)
涙を流すのはいつぶりだろう。
自分が養女だとわかってからは、悲しくても家族に心配かけたくなくて涙を流さないようにしてきた。
もう干からびたと思っていた涙腺が、昨夜のショックで蘇ったみたいだ。
(あんなこと……しちゃいけなかったのに)
私の心の奥には、産みの母のことが棘のように刺さっていた。
(不毛な関係はダメだと思っていたのに)
不倫して妊娠したという生みの母のことがどうしても許せなかった。
(私はあんなふうにはならない)
そう思っていたのに、昨夜は唯仁に身をまかせてしまった。
幼なじみに抱かれてしまったという事実は重かった。