キスのその後に
沙絵の胃に癌が見つかったのは、3年前の秋だった。

すぐに摘出手術を受けることはできたのだが、その後に他の臓器でも癌細胞が見つかった。

何度も手術を繰り返し、仕事も辞めざるを得なくなり、最後の半年は病院で過ごした。

治療は痛かったし、苦しかった。
でもそれよりも、娘たちに寂しい思いをさせてしまっていることの方が辛かった。

光希の小学校の卒業式にも中学の入学式にも、行ってあげることができなかった。

卒業式にみんなで撮った写真を見せてもらったが、他の子はママと並んで写っているのに光希だけが一人だった。

小5の咲良に関しては、中学の制服姿を見ることすら叶わない。

入院中は、光希も咲良も毎日のように病院に来てくれた。2人は、沙絵のベッドの横で学校の宿題をした。

元気な時は娘たちの宿題を見てあげる余裕などなかったから、一緒に問題を解いていく時間が楽しかった。

恭一も、仕事が早く終わった日は必ず病院に顔を出した。そんな日は4人で夕飯を食べた。

夕飯と言っても沙絵は食事ができないので点滴のチューブにつながれたまま、3人がコンビニの弁当を食べながら楽しそうに話をしているのを笑って見ていた。

「退院したら、毎日ママのご飯食べられるよね。」
咲良が嬉しそうに言う。
「えー。ママのご飯、たまに焦げてるけど。」
光希がふふん、と笑う。

沙絵は料理が苦手だった。味が薄かったり焦げたりすることはよくあることで、その都度、光希には呆れられていた。

退院したら一緒に洋服買いに行こうね。

退院したらまた旅行行きたいね。

退院したらお祭りでたこ焼き食べよう。

退院したら参観日来てね。

退院したら家族写真撮りに行こう。

退院したら。

退院したらね…。

もっとやりたいことあったのに。

退院したらの、その日は来なかった。
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