私が大聖女ですが、本当に追い出しても後悔しませんか? 姉に全てを奪われたので第二の人生は隣国の王子と幸せになります

51 再生  最終回

 王都が陥落した日は大混乱だった。それから数日、クラクフの軍が来るまで、リアとルードヴィヒはフランツやレオンとともに城壁の外にある民家でしばらく世話になった。
 
 リアの心はルードヴィヒの呪いが解けた喜びと、護国聖女の真相に混乱し揺れ動いた。昼には人々を助け、夜は二人で薄く淹れた茶を飲みながら言葉を重ねる。

「なぜ、あのような強大な力を持った存在が人と契約を結んだのでしょう」 

 黒の精霊の降臨はリアにとって悪夢だった。

「さあ。ただ言えるのは、初代の王が稀代の呪い師だったのではないかな。大昔のことで確かめようもないことだが」
 
 そう言ってルードヴィヒは軽く肩をすくめる。リアは体が腐りぐずぐずに解けたフリューゲルを思い出す。彼の先祖も何らかの形で契約に関わっていたのだろうか、それとも神殿の長には契約不履行に伴う死が約束されていたのだろうか。

「私は、黒の精霊が人と契約することに、何の利があるのかと考えてしまいます」

「あれは利など考えないのではないかな。ただ、人の感情を旨いと感じるのかもしれない」  

 ルードヴィヒの言葉にリアは背筋がぞくりとした。だが妙に腑に落ちる。

「恐怖も、悲しみも、苦しみも美味しいと感じる……そういうことですか?」

 リアの中には、精霊たちに取り込まれそうになった記憶が微かに残っている。

(彼が来てくれなかったら、私はあの存在のなかに溶けていた。
 王国を取り巻く結界の契約の代償となったのは、初代聖女の心なのかもしれない。彼女の心は精霊のなかに溶け、空っぽになった。そこに黒の精霊が……)

 おぞましい国の歴史を想像し、リアは恐ろしさにぶるりと震えた。

 そんな時、ルードヴィヒはそばに来て、リアをそっと抱きしめてくれる。

「大丈夫、もう恐ろしいことなど何も起きない」

 リアは耳元で囁かれるルードヴィヒのその言葉に縋るように頷いた。なんだか近すぎる気もするが彼とのこの距離がいつしか心地よくなっていた。

 抱きしめられるとどきどきするのに安心する。そして、ふわりといい香りがした。

(私の大切な人……)







 王都陥落から二月(ふたつき)が過ぎた。
 リアはヴァーデンの森へは帰らず、まだアリエデの王都跡の片隅に残っている。割れた石畳の道は随分と補修が進み、大通りはすべて開通した。


 二度とアリエデの地を踏むことはないと思っていたのに、まだこの地に踏みとどまっている。すべてが、終わってみるとまるでアリエデに呼び寄せられたように感じた。

 契約の強制力というものがあるのではないかとルードヴィヒは言っていた。
 しかし、彼は一つでも選択を誤れば死んでいてもおかしくない状況だった。それを自力で乗り越え呪いを跳ね返したのだ。
 やはり、すべてを黒の精霊や契約のせいにはしたくない。リアは自戒を込めて思った。

 つまり、ルードヴィヒがどれほど言葉を尽くしてくれても、黒の精霊を降臨させてしまった自分に責任を感じてしまう……。たとえ、黒の精霊の目的が契約の解除を知らせるものだったとしても。



 リアは王都城壁近くの商家を改装した救護院で日々過ごしていた。
 そこで傷病人を癒したり、彼らの悩みを聞いたりしている。不思議とリアの失われた神聖力は少し戻って来ていた。

 聖女は血筋だという説は間違っていなかったことになる。アリエデの貴族の血族にのみ生まれてくるようだ。それは彼らが初代聖女の子孫だからだろう。だが、その聖女がどこから来たのかは誰も分からない。

 リアがアリエデに入る直前、精霊の加護を受けられなくなったのは、彼らに見放されたのではなく、黒の精霊が降臨する前段階だったのではないかとルードヴィヒは言う。あの時器であるリアは空っぽになった。それとも逃げ出したのか。出来事は必然で、契約解除に向けて進んでいた。

 黒の精霊――すべての色彩を詰め込んだ黒。あの存在は魔物の王であり、精霊の王でもあったのかもしれない……。



 そうはいっても治癒能力は以前に比べて弱い。あの異常に高い治癒力はアリエデ王族の契約の一部だったのだろう。今では知る由もない。

 それなのに以前の信者たちはリアに文句ひとつ言わない。それどころか「あなたは、ただここにいてくれるだけで救いになり、支えになる」そんなふうに言ってくれる。彼らはみな多くを望まない。

 リアが人々が落ち着くまで、しばらくここで暮らすことに決めると、すぐにコリアンヌがマルキエ領の屋敷からやってきた。

「リア様のお世話をする者が必要です」

と彼女は言う。実際リアはなんでも自分で出来るが、気働きが出来て、思いやりのある彼女がいてくれてとても助かっている。

 そしてルードヴィヒは今北の地にいる。リアは心配で仕方ないが、彼は北に住むアリエデの民を――今はもう彼らはクラクフの民だから――守る義務があると言って軍を率いて救助に向かった。実質魔物退治だ。

 そこで救われた者のなかには神殿の聖女たちもいて、正気を失ったカレンもいた。美しかった彼女は髪がすっかり白くなり、年老いてしまった。ときおり意味不明な呟きを漏らし、リアを見ても誰だか分からない状態だ。
 リアも断罪されたときはカレンを恨んだりもしたが、今では実家も灰燼に帰し、引き取り手のない彼女が心安らかに過ごせることを祈っている。


 今日も救護院は人で溢れていた。
 リアは事務室で、ふと仕事の手を止め窓から裏庭を眺める。楢の木がすっかり色づき、枯れ葉がカサリと落ちる。もうすぐ冬が来る。ルードヴィヒは北の地でどうしているだろう。

 その時、救護院の入口辺りが騒めいた。誰か重病人が運ばれてきたのだろうか。
 リアは慌てて事務室を出て人の溢れる入口へ向かう。するとそこには、軍服姿のルードヴィヒが立っていた。どんなに多くの人がいても彼は直ぐに分かる。涼やかな佇まいに、深く青い瞳は柔らかく穏やかな光を湛えていた。

「リア、今帰ったよ」

 彼の形の良い唇が、柔らかく弧を描き、それが徐々にひろがり、眩しい笑顔になる。
 いまの彼に、初めて会った頃の儚さはない。
 健康的で体は逞しく、美しい。しかし、日に透ける金髪と曇りないサファイヤの瞳、穏やかな笑みは変わらない。


 ルードヴィヒは北の大地に発つ前、リアに求婚してきた。

「リア、愛している。私の妻になって欲しい」

 とてもストレートな申し出で、彼に愛され求められていると思うと嬉しくてたまらない。いままでもとても大切にされていると感じていた。だが呪われていたルードヴィヒがはっきりと愛を囁くことはなかった。しかし、呪いの解けた今は……。

 リアも彼が愛おしくて一生を共にするならば彼以外考えられなかった。すぐにも頷きたい。そう思った。

 しかし、自分がルードヴィヒの横に立っていてもいいのだろうかと、気おくれを感じる。呪いがほどけた彼にはクラクフの第二王子としての仕事がある。悠々自適というわけではなく政務をこなさなくてはならない。

(それに、私は……)

 リアの戸惑いをよそに、ルードヴィヒは周りの人々が注視する中、救護院の奥へずかずかと入ってきて彼女をぎゅっと抱きしめ、キスを落とす。

「会いたかった。リア、私にお帰りをいってくれないのか?」

 リアは吐息がかかるほどの近い距離に、真っ赤になってしまう。嬉しいけれど、慣れない。

「お、お帰りなさいませ」

 すっかり圧倒された。周りの皆は、照れ屋のリアの為に見て見ぬふりをしてくれている。とりあえず彼は目立つので、奥の間へ連れて行った。

 二人きりになるとほっとする。リアはさっそく彼の為に丁寧に茶を淹れた。

「もう、ずっとこちらにいられるのですか」
「ああ、いられるよ。早く私たちの式を挙げよう。とはいってもこの状況だ。とりあえず誓いをたてるだけだが……。叔父や叔母も待っている」

 アルマータ夫妻はリアたちの帰りを心待ちにしている。

 穏やかに微笑むルードヴィヒ。その笑顔は陽だまりのように優しい。それなのに嬉しさより、不安を感じる。リアはルードヴィヒを心から慕っている。そしてそれ以上に彼の幸せを願っている。

(本当に、私でいいの?)

 彼はどんどん話をすすめようとする。

 王都をがれきにしたのは、黒の精霊に体を開け渡してしまった自分のせいだ。ルードヴィヒは契約を違えたアリエデの王族がしでかしたことだと言うけれど……。簡単には割り切れない。

 黒の精霊の依り代であるこんな恐ろしい自分でいいのかと何度もルードヴィヒに問うた。しかし、ルードヴィヒは黒の精霊はもう二度とやってこないと断言する。


「どうしたんだ。リア、私では不足か?」

 ルードヴィヒが、黙り込み俯いてしまったリアの顔を覗き込む。

「まさか! そんなんじゃありません。ただ、私にはもったいないお話です」

 リアは驚き、弾かれたように返事をする。彼で不足などありえない。
 だが、今度はルードヴィヒが、唇を引き締め、黙り込む。ややあって、彼が真剣な面持ちで口をひらく。

「ねえ、リア、たとえ話だけれどね。君はケガをした仔犬を見つけたらどうする?」

 急に変わる話題について行けず。リアは目を瞬いた。

「もちろん、拾って帰り、手当します」

 即答だった。

「そう。それで、その仔犬が君に懐いてしまったら」

 それならばとても可愛いとリアは思う。

「当然拾ったものの責任として飼わなければなりません。大切に育てます」
「仔犬が死ぬまで?」
「当然です。拾ったものは最後まで面倒を見ます。それが拾ったものの勤めです」

 ルードヴィヒはどうしてそんなことを聞くのだろう。リアが小首を傾げる。

「なら当然、私の面倒も最後までみてくれるよね」
「え?」
「忘れたのか? あの日、けがをした私は森で君に拾われた」

 リアはしばらく呆けてしまった。ルードヴィヒはそんなリアの顔を見てくすくすと笑う。

「ちょっと待ってください。ルードヴィヒ様、その仔犬って」
「私はなかなか毛並みがいいと思うが、どうだろう?」

 ルードヴィヒが青い瞳を煌めかせ、にっこりと笑う。
 呪いがとけて、逞しい男性となった彼が自分をか弱い仔犬に例え、毛並みがいいと言っている。確かに毛並みは誰よりもいいが、それがおかしくて、リアは笑いそうになる。

 そうだ。ルードヴィヒは何も変わらない。呪われていてもいなくても彼は彼のままだ。揺れ動き、惑わされているのは、いつもリアの心だけ。

 揺るがない強さを持った人、そんな彼がとても眩しい。愛おしくて、なによりも大切で、かけがえのない人。

「リア、知っているかい。仔犬はね。飼い主がただ一緒にいてくれるだけで満足するんだよ」

 ルードヴィヒは何かと役に立とうとするリアに、一緒にいるだけでいいと、ずっと伝え続けてくれていた。

 きっとあの日、森で拾われたのは、あなたではなく………

 彼はただそばにいればいいと、望んでくれている。

 リアは勇気を出して、大きく開かれた彼の腕に飛び込んだ。

 そこにはヴァーデンの森の木々の香りや、吹き抜ける爽やかな風、陽だまりの匂いがあった。

 


 


Fin













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