むふむふ
「……詳しいことは本人から聞けって、一体どういう意味だったんだろうな」

 文藏の言葉を思い返しながら、帰路、潔は自転車を押して歩いていた。
 カゴに収まる毛玉ーー無風は、やや窮屈そうに見える。

「本人がこの状態じゃ、何も聞けんだろうに」

 潔の呟きを聞いた無風は「むふ……」としぼんでしまう。それを見て、潔は彼のことがあらためて気の毒になった。

「すまない無風君、きみを責めているわけじゃないんだ。その……許婚云々はきみの意思もあることだから。約束なんていっても、それを無視して進めたりはしない」

 と、自分自身は約束ならば抗えんと思っている潔の言葉を、無風がどう受け止めたかは判然としない。ただ、カゴの中で膨らめる限界まで膨らんで、「むふむふ!」と大きな声を出した。

「おお。びっくりした」

 潔はさほどびっくりしているようには思えない口調で言った。

 やがて表通りの『阿部丘(あべきゅう)書店』に差し掛かったところで、潔は不審な人物を見た。
 それは地味な色を身につけた中肉中背の若い男であった。夕方でもまだ暑いにもかかわらず、長袖の上着を着ている。男は表に並べてあった雑誌を懐に入れると、何事もなかったかのように足早に立ち去ろうとする。

「無風君、すまない。少し待っていてくれ」

 潔は自転車を道の脇に停めると、男に近づいた。そして、「支払いが済んでいないようだが」と短く声をかける。
 カゴの中で無風が「むふ! むふ!」と跳ねている。

「……知らない」

 男はそのまま立ち去ろうとする。
 しかし潔は素早かった。男の片腕を引っ張ると、懐から新品の雑誌を抜いたのだ。その動きに一切の無駄はない。

「やっぱり盗ってるじゃないか」

 男は一瞬呆気に取られていた。何が起きたのか、何をされたのか分からなかったのだ。ただ、雑誌を持った少女が目の前にいる。

「ほ、他の店で買ったんだよ」と苦し紛れに言い訳するが、「全部見てたぞ」と返されて押し黙る男。

 潔は窃盗犯を店主の阿部丘次(あべきゅうじ)に引き渡すと、「潔ちゃんいつもありがとうね、でもあんまり無茶ぁしないでちょうだいね」なんてちょっと心配そうに言われている。
 無風は何事も無くて安心したというように「むふ……」と息を吐いた。
 潔は挨拶もそこそこに、書店を後にした。
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