ツンデレ副社長は、あの子が気になって仕方ない
「いらっしゃいませ」
カウンターからバーテンダーが顔を上げ、「どこでもどうぞ」という風に店内を手で示した。
そこは、さっきのパン教室と同じビルの地下にあるバー「blue moon」。
非常階段から外に出ることなく向かえる場所だったため、今回の待ち合わせにこちらから指定したのだ。
とはいえ、店内まで入るのはこれが初めてだけど。
ヨーロッパの古い街並みに迷い込んだような石畳の床を歩いていくと、赤レンガの壁際にオブジェのように積みあがったワイン樽が見えた。
ベルベット地の椅子も精緻な彫刻を施したテーブルもアンティーク調で、すごくおしゃれ。こんな時じゃなければ、もう少し楽しめたのにな。
独り言ちながら、さっそく薄暗い店内に視線を走らせる。
週末だからか、それほど広くない店内は結構混雑していた。
テーブル席はほとんど全部埋まってる。
結婚式帰りっぽいグループが1組、カップルが1組、それから――……
視線が、カウンター席で止まる。
周囲から浮いたアロハシャツが目に留まった。
こちらに背を向けて座っている。
彼に実際会ったのは一度きり、しかも2年以上前のことだ。
かなり曖昧な記憶だったが一人客はあの人だけだし――とそちらへ歩を進めた。
ヒールの音で気づいたらしい50がらみの男性が顔を上げ、振り返る。
無精ひげに覆われた大きな顔のせいか、ボタンが弾け飛びそうなサイズのお腹のせいか、どこか枠にはまりきらないアウトローな空気が漂っている。間違いない、彼だ。ええと、彼の本名は確か――
「こんばんは、お久しぶりです」
声をかけると応えるようにニヤリと笑った彼は、ご機嫌な様子でビールジョッキを掲げてみせた。
「やっと会えましたね、一星のお嬢さん」