だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜

316.薔薇の君へ、花車を6

「急にお呼び出しってまた何かあったんすか──って、マジで何があったの姫さん!? 全身ずぶ濡れじゃないッスか!」

 重い隈を引っ提げてエンヴィーは現れた。
 頭の上でバケツをひっくり返したかのように全身ずぶ濡れのアミレスを見て、エンヴィーはギョッとした顔になり、

「ええと……とりあえず、風邪引いたらマズイんで、俺の服着ておいてください」

 慌てて服を脱いで、膝を折りアミレスにそれを掛けた。エンヴィーとアミレスの体格差もあって、その服は余裕をもってアミレスを包み込む。
 その優しさに触れて、彼女は感極まった。

「うぅ……ししょお〜〜っ!」
「ど、どーしたんすか? 俺を呼び出す程の事だから、やっぱり何かあったんすね?」

 勢いよくエンヴィーの逞しい胸元に飛び込み、アミレスは彼に縋りついた。
 アミレスがこんな風に振る舞う事はかなり珍しい。だから彼は、非常に困惑しながらもアミレスの話を聞く姿勢に入る。

(姫さんがこれだけ取り乱す、って一体何があったんだ?)

 少し不安な気持ちを頭の片隅に残しつつ、エンヴィーはアミレスの背中を優しく摩った。その温かみに少し落ち着いたのか、彼女は雨音に負けるぐらいの小さな声で、ぽつりぽつりと話し始めた。
 聞けば聞く程、エンヴィーの表情が消えていく。まさに雨で流されていく汚れのように……彼の顔から、色という色が抜け落ちてゆくのだ。

「……──姫さん。これだけは確認させてください。姫さんは、人命救助だからとシュヴァルツに無理やりキスされて…………嫌でした?」

 いつもの気さくな雰囲気など、今の彼からは表情と共に失われていた。低く真剣な声。一切笑わぬ瞳を携えた真顔。
 エンヴィーは感情の起伏が激しい激情型の精霊だった。そんな彼が心の底から怒る時、その先には分岐路があった。
 一つは全てを燃やし尽くす業火の怒り。
 もう一つは、灼熱を蓄える劫火の怒り。
 今回は後者に当たるらしい。大事な大事な一番星(エストレラ)を傷つけられて、彼は心の底から憤怒していた。
 今すぐにでもシュヴァルツを始末してやる。そう、エンヴィーは考えた。しかしその前にアミレスの意思を確認しておかねばとも考えたのだ。

 憎き相手と言えども、シュヴァルツをアミレスが気に入ってる事実に変わりはない。もし彼女の意思を無視して始末したなら……きっと、アミレスは悲しむだろう。
 アミレスのお人好しっぷりを知っているエンヴィーは、その可能性を危惧しているのだ。

「……嫌とか、分かんないよ。だって比較対象が無いもん。何が良くて、悪いのか……全然分かんない」

 エンヴィーの胸元に顔を埋めながら、アミレスは心境を吐露する。
 答えになっていないその返答に、エンヴィーは怒る訳でも呆れる訳でもなく、ただ優しくアミレスの背を摩っては静かに語り掛けた。

「じゃあ、もう一度あいつとキスしたいと思いますか?」
「……どちらとも言えない。したいともしたくないとも言えないの」

 アミレスの複雑な心境に、エンヴィーは小さなため息を一つ。

「そうですか。じゃあ、まぁ……あいつの事は数発殴るぐらいに留めておきますよ。後からでも、やっぱり嫌だった。って思ったらそん時は言って下さい。喜んであいつを始末しますので」

 エンヴィーは怒りをぐっと堪え、アミレスに向けて笑いかけた。

(姫さんの記憶を消せたらすげー楽だったんだけどな。姫さんには精神干渉出来ねぇし、とにかく姫さんが立ち直ってくれる事を祈るしかねぇってのがもどかしいな)

 ファーストキスを奪われたショックから錯乱するアミレスを優しく宥める。その温もりに癒されて、アミレスも少し、落ち着きを取り戻した。
 もそもそと起き上がり、エンヴィーから離れると……アミレスはしゅんとした顔で顎を引いた。

「ごめんなさい、師匠。こんな事で呼び出して……師匠もお仕事忙しいのに……」
「別にいーんですよ、これぐらい。これからも、他の奴等には相談しにくい事とかあれば俺を喚んでくださいな。大したアドバイスとかは出来ませんが、愚痴の聞き役ぐらいにはなれるんで」
「し……ししょぉお〜〜!」
「はは、今日の姫さんは甘えたさんっすねぇ」

 アミレスはもう一度エンヴィーに抱き着いた。今度はその胸元ではなく、彼の首元に腕を回して。エンヴィーはそれを当然のように受け入れて、彼女の気が済むまで付き合う事に決めた。
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