だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜
388.僕には妹がいた。
……──笑った。
あの女が、僕に向けて笑顔を作った。
その事実が、どうしてこうも胸を高鳴らせるのか。
ずっと僕以外にだけ向けられていたあの笑顔が、ついに僕にも向けられた。今まで一度たりとも見た事のなかった、僕だけに向けられたあの笑顔が目に焼き付いて色褪せない。
殺したい程愛していて、愛する為に殺したい我が妹。
この熱情は殺意なのか……はたまた愛情なのか。
そのどちらなのかは僕にも分からないが、どちらなのだとしても構わない。この高鳴りを不快だとは思わないから。
「おや、フリードル殿下。どうやら今日は楽しめたみたいですね」
「ケイリオル卿……貴方には、やはりお見通しですか」
城の廊下を歩いていると、偶然にも彼とばったり出くわした。どうやら行先が同じ方向だとかで、途中までケイリオル卿と話しながら歩く事に。
隠し事が通用しない彼には、今の僕の感情すらも筒抜けなのだろう。心を見透かされているかのようだが、彼の察しの良さは昔からの事なのでもはや気にならない。
「こんな風に、何かを楽しいと思った事はありませんでした。なので、色々と助言をくださったケイリオル卿には感謝しております」
「いえいえ、僕は大した事などしておりませんよ。此度の楽しい視察が叶ったのは、フリードル殿下と王女殿下がお互いに歩み寄ったからでしょう」
ケイリオル卿の言葉も一理ある。
僕と妹の関係がここまで拗れたのは、間違いなく僕に原因があるからだ。
父上に執拗に言い聞かされ、何も分からないままに妹を疎み憎んでいた幼い僕は……小さな足でぺたぺたと足音を鳴らし、必死に後ろを着いて回る幼い妹を邪険に扱っていた。
煩わしくて、鬱陶しくて。
無駄に輝く目障りな夜の瞳でこちらを見上げ、耳障りな高く幼い声で『おにぃしゃま』と僕を呼んでいた。何度雑にあしらっても健気に僕を兄と呼ぶ不愉快な存在。それを更に疎み、いつしか憎らしく思うようにもなっていた。
それが昔の妹で、それが昔の僕だった。
はじめの変化は妹に起きた。ある日、妹の性格はガラリと変わった。
いつも僕を追いかけて来ていた子供は僕の横を通り過ぎ、騒々しくも僕を『お兄様』と呼んでいた甲高い声は地を這うような低く恨みを孕む声になり、曇り無い夜の瞳は憎悪に染まり暗雲が立ち込めていた。
その日以降、やたらと僕を追いかけていた妹の姿など見る影もなく、寧ろあの女は僕を避けるようになった。
ずっとおどおどしていて、幼いながらにこちらの顔色を窺っていた妹は、一度たりとも僕の前で笑う事はなかった。
そんな妹が、僕から離れ他人に向けて笑っていた。
女だてらに剣を握り、楽しげに笑っていた。
もしかしたらあの時から、僕は無自覚に妹への愛情を思い出していたのかもしれない。
だがそんな事とは露知らず、当時の僕は妹への憎悪を募らせ、苛立ちに全身を絡め取られていた。その結果、更に妹との関係が拗れたのは言うまでもない。
そして最後の変化は僕に起きた。改まって言う程の事でもないが、ただ、かつて妹を愛していた事を思い出しただけの事。
そして、また妹を愛したいと思っただけの事。
だがそれでも人間は完璧には変われない。これまでの十数年の人生で妹は消耗品に過ぎない。と思っていた事もあり……これまで抱いていた憎悪は殺意となり、その殺意と思い出したばかりの愛情が混ざり合ってしまった。
愛情の中に殺意が落ちたのか、殺意の中に愛情が落ちたのか。
もう自分の感情すらも分からないが……僕はあの冬の日から、妹を殺したいぐらい愛するようになったのだ。
それから兄妹仲の改善の為に勉強し、幾度かの茶会を経て僕達の関係は少しずつ改善されていったと思われる。
だからこそ今日の視察が叶った。
僕も妹も互いに変化し歩み寄ったから、こんなにも楽しい一日を過ごす事が出来たのだろう。
「──妹は、僕の事をどう思っているんでしょうか」
僕の事を憎む癖に、それでもまだ愛しているらしいあの女が……今の僕をどう思っているのか。それが気になって仕方無い。
「ふふ。それは貴方自身の耳で、本人から聞かねばならない事でしょう。ですので僕からはいつも通り、簡単な助言だけ」
ケイリオル卿は勿体ぶるように間を置いて、言い放つ。
「彼女はとても競争率が高い。少しでも、フリードル殿下が彼女の心を手に入れたいと思うのなら──早めに行動した方がいいですよ。精霊や悪魔によって、王女殿下の感情が狂わされる前に」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だった。
考えた事も無かった。あの女が……妹が、僕への愛情を捨てるという可能性を。
ああそうだ、前にあいつは言っていた───『愛されないと分かっていて愛を求めるような愚かな事……私はもう、二度としたくないのです』と、血走った眼をこちらに向けて叫んでいた。
僕がきちんとあいつを愛さないと、あいつは僕を愛する事をやめる。これまで十数年と続けてきたそれをやめるとあいつは言っていた。
ならば、もう、あの女は…………僕を、愛していないんじゃないのか?
──嫌だ。
そう、強く心臓が鼓動する。
気持ち悪い感情が体を芯から冷やしていく。
ようやく、お前が僕にも笑うようになったのに。
ようやく、お前の名前を呼べたのに。
ようやく、お前と兄妹になれるというのに。
……僕は遅すぎたのか? もっと早くお前への愛情を思い出し、この殺意を飼い慣らせるようになっていたら……僕達はもっと普通の兄妹らしくなれていたのか?
今日のように一緒に出かけ、買い物をし、食事をして、他愛のない話をして、別れ際に楽しかったと言い合えたのか?
人形を両手に抱えて『可愛いでしょう?』と上目遣いでこちらを見上げて来たお前に、その時ふと思った言葉をありのまま伝えられたのか?
手を握る事は嫌がる割に気になる店を見つけた時は僕の腕を引っ張るお前に、その時ふと思った感情をありのまま伝えられたのか?
視察だ仕事だと大義名分を用意して、無理やり二人で祭りを見て回ろうと画策する必要もなかったのか?
給金の代わりだとでも言わなければプレゼント一つ満足に渡せない、そんな酷い兄にならずに済んだのか?
僕が素直になっていれば──そんなたらればに脳を埋め尽くされ、後悔ばかりが心に残る。
『たとえ仕事だったとしても、兄様と一緒にお出かけが出来て、今日は楽しかったです』
あいつに喜んで欲しくて僕が自ら選び渡したぬいぐるみを受け取り、妹は笑った。
そして、楽しかったと。妹の口から夢にも見てなかった言葉を聞いて……僕は。
『……──そうか。僕も、それなりには楽しかったさ』
どうしようもなく、嬉しかった。
父上に成果を認められた時以外嬉しいなどと感じた事のなかった僕が、はじめて心から嬉しいと感じた。
だからこそ、あいつが以前のようにならないよう対策しなければならない。いつまた憎悪を向けて来るかも分からないのだから、ケイリオル卿の言う通り早いうちに手を打っておかねば。
あいつは、愛したところで意味が無いから愛する事をやめると言っていたな。ならば、僕があいつを愛せばもう一度妹は僕を愛する筈。
あいつの──……アミレスの心を取り戻し繋ぎ止める為ならばどんな手段も厭わない。
「フリードル殿下。どうされましたか、険しい顔をされて」
「いえ、何でもありません。それでは僕はこの辺りで」
「え……ああ、はい。それでは……」
黙り込んでいた僕を気にしてか、ケイリオル卿は声をかけてくださった。しかしそこで丁度分かれ道に差し掛かったので、ケイリオル卿とはここで別れて一人で廊下を歩く。
愛する妹の心を取り戻す為に、僕はこれから可能な限り妹を愛してやろう。そして、あいつが僕を愛したら──……この手で、その息の根を止める。
僕もお前も最も幸せだと感じるその瞬間に、お前の人生を終わらせてやろう。
愛する人に愛され、幸せの絶頂で死ねるんだ。
それはきっと…………世界で最も幸福な死だろう? なあ、アミレス。
お前の事を愛しているからこそ。
僕は兄として、お前に、この世で最も美しく幸福な死を用意してあげよう。
あの女が、僕に向けて笑顔を作った。
その事実が、どうしてこうも胸を高鳴らせるのか。
ずっと僕以外にだけ向けられていたあの笑顔が、ついに僕にも向けられた。今まで一度たりとも見た事のなかった、僕だけに向けられたあの笑顔が目に焼き付いて色褪せない。
殺したい程愛していて、愛する為に殺したい我が妹。
この熱情は殺意なのか……はたまた愛情なのか。
そのどちらなのかは僕にも分からないが、どちらなのだとしても構わない。この高鳴りを不快だとは思わないから。
「おや、フリードル殿下。どうやら今日は楽しめたみたいですね」
「ケイリオル卿……貴方には、やはりお見通しですか」
城の廊下を歩いていると、偶然にも彼とばったり出くわした。どうやら行先が同じ方向だとかで、途中までケイリオル卿と話しながら歩く事に。
隠し事が通用しない彼には、今の僕の感情すらも筒抜けなのだろう。心を見透かされているかのようだが、彼の察しの良さは昔からの事なのでもはや気にならない。
「こんな風に、何かを楽しいと思った事はありませんでした。なので、色々と助言をくださったケイリオル卿には感謝しております」
「いえいえ、僕は大した事などしておりませんよ。此度の楽しい視察が叶ったのは、フリードル殿下と王女殿下がお互いに歩み寄ったからでしょう」
ケイリオル卿の言葉も一理ある。
僕と妹の関係がここまで拗れたのは、間違いなく僕に原因があるからだ。
父上に執拗に言い聞かされ、何も分からないままに妹を疎み憎んでいた幼い僕は……小さな足でぺたぺたと足音を鳴らし、必死に後ろを着いて回る幼い妹を邪険に扱っていた。
煩わしくて、鬱陶しくて。
無駄に輝く目障りな夜の瞳でこちらを見上げ、耳障りな高く幼い声で『おにぃしゃま』と僕を呼んでいた。何度雑にあしらっても健気に僕を兄と呼ぶ不愉快な存在。それを更に疎み、いつしか憎らしく思うようにもなっていた。
それが昔の妹で、それが昔の僕だった。
はじめの変化は妹に起きた。ある日、妹の性格はガラリと変わった。
いつも僕を追いかけて来ていた子供は僕の横を通り過ぎ、騒々しくも僕を『お兄様』と呼んでいた甲高い声は地を這うような低く恨みを孕む声になり、曇り無い夜の瞳は憎悪に染まり暗雲が立ち込めていた。
その日以降、やたらと僕を追いかけていた妹の姿など見る影もなく、寧ろあの女は僕を避けるようになった。
ずっとおどおどしていて、幼いながらにこちらの顔色を窺っていた妹は、一度たりとも僕の前で笑う事はなかった。
そんな妹が、僕から離れ他人に向けて笑っていた。
女だてらに剣を握り、楽しげに笑っていた。
もしかしたらあの時から、僕は無自覚に妹への愛情を思い出していたのかもしれない。
だがそんな事とは露知らず、当時の僕は妹への憎悪を募らせ、苛立ちに全身を絡め取られていた。その結果、更に妹との関係が拗れたのは言うまでもない。
そして最後の変化は僕に起きた。改まって言う程の事でもないが、ただ、かつて妹を愛していた事を思い出しただけの事。
そして、また妹を愛したいと思っただけの事。
だがそれでも人間は完璧には変われない。これまでの十数年の人生で妹は消耗品に過ぎない。と思っていた事もあり……これまで抱いていた憎悪は殺意となり、その殺意と思い出したばかりの愛情が混ざり合ってしまった。
愛情の中に殺意が落ちたのか、殺意の中に愛情が落ちたのか。
もう自分の感情すらも分からないが……僕はあの冬の日から、妹を殺したいぐらい愛するようになったのだ。
それから兄妹仲の改善の為に勉強し、幾度かの茶会を経て僕達の関係は少しずつ改善されていったと思われる。
だからこそ今日の視察が叶った。
僕も妹も互いに変化し歩み寄ったから、こんなにも楽しい一日を過ごす事が出来たのだろう。
「──妹は、僕の事をどう思っているんでしょうか」
僕の事を憎む癖に、それでもまだ愛しているらしいあの女が……今の僕をどう思っているのか。それが気になって仕方無い。
「ふふ。それは貴方自身の耳で、本人から聞かねばならない事でしょう。ですので僕からはいつも通り、簡単な助言だけ」
ケイリオル卿は勿体ぶるように間を置いて、言い放つ。
「彼女はとても競争率が高い。少しでも、フリードル殿下が彼女の心を手に入れたいと思うのなら──早めに行動した方がいいですよ。精霊や悪魔によって、王女殿下の感情が狂わされる前に」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だった。
考えた事も無かった。あの女が……妹が、僕への愛情を捨てるという可能性を。
ああそうだ、前にあいつは言っていた───『愛されないと分かっていて愛を求めるような愚かな事……私はもう、二度としたくないのです』と、血走った眼をこちらに向けて叫んでいた。
僕がきちんとあいつを愛さないと、あいつは僕を愛する事をやめる。これまで十数年と続けてきたそれをやめるとあいつは言っていた。
ならば、もう、あの女は…………僕を、愛していないんじゃないのか?
──嫌だ。
そう、強く心臓が鼓動する。
気持ち悪い感情が体を芯から冷やしていく。
ようやく、お前が僕にも笑うようになったのに。
ようやく、お前の名前を呼べたのに。
ようやく、お前と兄妹になれるというのに。
……僕は遅すぎたのか? もっと早くお前への愛情を思い出し、この殺意を飼い慣らせるようになっていたら……僕達はもっと普通の兄妹らしくなれていたのか?
今日のように一緒に出かけ、買い物をし、食事をして、他愛のない話をして、別れ際に楽しかったと言い合えたのか?
人形を両手に抱えて『可愛いでしょう?』と上目遣いでこちらを見上げて来たお前に、その時ふと思った言葉をありのまま伝えられたのか?
手を握る事は嫌がる割に気になる店を見つけた時は僕の腕を引っ張るお前に、その時ふと思った感情をありのまま伝えられたのか?
視察だ仕事だと大義名分を用意して、無理やり二人で祭りを見て回ろうと画策する必要もなかったのか?
給金の代わりだとでも言わなければプレゼント一つ満足に渡せない、そんな酷い兄にならずに済んだのか?
僕が素直になっていれば──そんなたらればに脳を埋め尽くされ、後悔ばかりが心に残る。
『たとえ仕事だったとしても、兄様と一緒にお出かけが出来て、今日は楽しかったです』
あいつに喜んで欲しくて僕が自ら選び渡したぬいぐるみを受け取り、妹は笑った。
そして、楽しかったと。妹の口から夢にも見てなかった言葉を聞いて……僕は。
『……──そうか。僕も、それなりには楽しかったさ』
どうしようもなく、嬉しかった。
父上に成果を認められた時以外嬉しいなどと感じた事のなかった僕が、はじめて心から嬉しいと感じた。
だからこそ、あいつが以前のようにならないよう対策しなければならない。いつまた憎悪を向けて来るかも分からないのだから、ケイリオル卿の言う通り早いうちに手を打っておかねば。
あいつは、愛したところで意味が無いから愛する事をやめると言っていたな。ならば、僕があいつを愛せばもう一度妹は僕を愛する筈。
あいつの──……アミレスの心を取り戻し繋ぎ止める為ならばどんな手段も厭わない。
「フリードル殿下。どうされましたか、険しい顔をされて」
「いえ、何でもありません。それでは僕はこの辺りで」
「え……ああ、はい。それでは……」
黙り込んでいた僕を気にしてか、ケイリオル卿は声をかけてくださった。しかしそこで丁度分かれ道に差し掛かったので、ケイリオル卿とはここで別れて一人で廊下を歩く。
愛する妹の心を取り戻す為に、僕はこれから可能な限り妹を愛してやろう。そして、あいつが僕を愛したら──……この手で、その息の根を止める。
僕もお前も最も幸せだと感じるその瞬間に、お前の人生を終わらせてやろう。
愛する人に愛され、幸せの絶頂で死ねるんだ。
それはきっと…………世界で最も幸福な死だろう? なあ、アミレス。
お前の事を愛しているからこそ。
僕は兄として、お前に、この世で最も美しく幸福な死を用意してあげよう。