だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜
407.ある聖人とある吸血鬼4
「主ノ言イ分ハワカッタ。ココノ人間ガ、聖人ヲ凡人ヘト堕トス毒ダト言ウナラバ──……当方ガ、徹底的ニ排除スル」
ラフィリアの宝石眼が冷たく光ると同時に、血の気が引くのが分かる。頭で考えるよりも前に体が動き、僕はラフィリアの腕を掴んでいた。
「駄目っ! ちが、違うんだ……彼等は何も、なにも悪くない。悪いのは僕なんだ。全部全部僕が悪いんだ。馬鹿みたいに夢を見て、憧れに縋る僕が悪いんだ……っ! だから、だからお願い──アンヘル君達に、なにもしないで」
彼等は何も悪くない。それなのに、僕を助けた所為で彼等に危険が迫るなんて事、あっていい訳がない。
「夢も、憧れも……全部捨てるから。ちゃんと聖人に戻るし、もう、夢も見ないから。だから……お願いだから、彼等にだけは、手を出さないで」
物心ついた時から、聖人は泣いた事なんて無かった。何故なら聖人は普通の人間とは違うから。
泣く事も、笑う事も許されない。
感情を表に出してはいけない。欲望を抱いてはいけない。
愚痴も雑談も昼寝も遊びも何一つとして許されない。それに慣れていた筈なのに。
それなのに、僕は泣いていた。はじめて心から大事だと思った場所と、人々。それらを失い、あまつさえ傷つける事になってしまうかもしれないから。
失うのはまだいい。とても辛いけれど、元の生活に戻るだけだから。
でも、彼等が僕の所為で傷つくのは嫌だ。絶対に、それだけは阻止しなきゃいけない。
だから、僕はラフィリアに泣いて縋った。
これこそ聖人としてあるまじき行為だと知っていながらも、今の僕にはこうする事しか出来なかったから。
「ッ!」
ラフィリアが悲痛な面持ちでこちらを見下ろしてくる。
こんな顔、初めて見た。でもどうして? どうして、ラフィリアが傷ついたような表情をしているの?
「…………一晩。明日ノ朝ニハ、主ヲ連レ帰ル。分カッタ?」
「う、うん……アンヘル君達には、何もしないでいてくれるんだよね?」
僕の問にも答えぬまま、ラフィリアは黙ったまま踵を返して姿を消した。
まるで、アンヘル君達の事は僕次第だ、とでも言うかのように……。
♢♢
あんな顔が見たくて、捜し出した訳じゃない。
当方はただ、主に早く戻って来て欲しくて……当方の傍にいて欲しくて、一ヶ月近く世界中を飛び回って主を捜し出したのに。
「──当方ガ、主ニ涙ヲ流サセタ。他ナラヌ当方ガ、主ヲ凡人ニシタ」
主を守ろうとしたのに、傷つけてしまった。
何故? 当方は神の言葉に従い、伝統通りに動いた。
大好きな主の為に、主が傷つかず平穏無事に生きていられるように最善を尽くしたのに。
何故、主は凡人になってしまったんだ。
これまでは上手くいっていたのに。主は聖人として完璧に、傷つく事も悲しむ事もなく生きていたのに。
どうして。今になって突然あんな風になってしまったんだ?
「……ッ、主ノ涙ナンテ、見タクナカッタ……!」
凡人のように。子供のように。感情を剥き出しにして泣き、主は当方に縋ってきた。
聖人である主がただの人形に過ぎない当方に。そんな事、あってはならない。
でも、こんな状況の対処法など当方は知らない。
どうすれば主を聖人に戻せる? どうすれば主が傷つかないで済む? どうすれば、どうすれば──。
「当方ハ、主ノ為ニ在ル。ナラバ、モウ──……」
主の為に、国教会を変えるしかない。
主を極力傷つけずに聖人に戻す為には今の国教会は障害が多い。下心丸出しで主に接する者が多過ぎる。
そういった者達は過剰に主のやる事なす事に口を挟む。今までならそれで問題なかったけど、今の主にはそれこそ毒だ。主が心置きなく聖人に戻れるよう、当方が環境を整えておかないと。
「今ノ当方ニハ、ソレシカ出来ナイ……カラ」
全ては主の為。主の為に造られた当方は、主の平穏無事な一生の為に神の言葉をも改竄しよう。
すべては、そう。
許されない事と分かっていながらも、こんな無愛想で不出来な人形を家族と言ってくれた──……大好きな、当方の主の為に。
♢♢
翌朝、ラフィリアのくれた猶予まであと数時間もない朝食の時に、僕はアンヘル君達に別れを告げた。
それにはジオールさんもソウディガーさんも驚き、あまりにも急すぎると眉尻を下げていた。
本当は、僕だってもっとここにいたい。だけど……それは許されないから。彼等の為にも、僕は一刻も早くここを去るべきだ。
「ごめんなさい。ついに──いえ、ようやく迎えが来て。でも本当に……本当に、楽しい日々でした。素性も明かさない不義理な僕にあんなにも良くしてくれて、本当にありがとう」
なんとか笑顔を作って立ち上がり、僕は深く頭を下げた。
これで、僕の夢は終わる。これからはこうして頭を下げる事も、謝罪する事も、感謝を告げる事もなくなるんだろう。
だから最後に、精一杯の感謝を伝えたかった。
また今度、お礼に匿名で何か贈ろう。まだまだ僕は彼等に恩を返せていないから……せめて、何か彼等の役に立つものを贈らないと。
そんな事を考えながら食堂から出て、しょんぼりしているジオールさんに玄関まで見送ってもらった時だった。玄関近くの二階からアンヘル君が顔を覗かせ、
「──おい、ミカリア」
教えてない筈の僕の名前を、口にした。
「なん、で? 僕の、名前……」
「いくら俺が社交嫌いだからって舐めすぎだ。おまえの正体なんて最初から知ってたっつの。白い髪に黄色い目の聖人サマの事なんて、ここらの国の奴は誰だって知ってる。知った上で、俺はおまえの事を助けてやったんだよ」
なんで? 聖人なんて存在、君からすれば天敵以外の何者でもないのに。
「俺は死なない。吸血鬼という種族がこの世界から消えないように抑止力が働いている以上……俺が世界最後の吸血鬼である限り、俺は絶対に死なない。だから俺はおまえを助けた。おまえが俺に敵意を抱いたところで、俺にはなんの害もなかったから」
彼の言っていた『殺せない』って、そういう事……だったんだ。
でも、どうして急にそんな話を?
「だから俺達の事なんて一々気にするな。会って一ヶ月とかの俺達なんて、おまえの夢やら人生やらを賭ける程大事なものじゃないだろ! せいぜい知人止まりの俺達相手におまえ自身を犠牲にするな、虫唾が走る!!」
「ち、じん……?」
「ああそうだ。俺とおまえは友達でも仲間でもなんでもない、ただの知人だ。たまたま出会ってたまたま知り合っただけの、顔見知り。どこにでもいるような知人に過ぎないだろ。おまえは、そんな相手の為に自分を犠牲にするような馬鹿なのか? ハンっ、これだから聖職者は堅苦しくて嫌なんだ!」
友達のようだと思っていたのは僕だけだと、何度も現実を突きつけられたようで心臓が痛む。これにも慣れている筈なのに、どうしてこんなにも胸が痛いのか。
──あれ、でも。どこにでもいる知人って……事は。
アンヘル君が言わんとしている事に気づき、僕は勢いよく顔を上げた。
彼の紅い目と目が合う。鋭く冷たいけれど、どこか優しいその目に、僕はこれが都合のいい妄想なのではないと確信した。
「……──ねぇ、アンヘル君。僕達……これからも、たまにばったり出会えるかな?」
「さあな。知人なんて、思い出した時に適当に近況を聞く程度のモンだろ」
「…………そっか、そうだよね。僕達、ただの知人だもんね」
今にも涙が零れそうな瞳に力を込め、僕はもう一度笑った。
聖人は特別でなければならない。
だから凡人のように友達といった存在がいてはならないのだけど……聖人にだって、知人は存在する。
たまに顔を合わせる人。会えば軽く言葉を交わす人。信徒達だって言うなれば知人のようなものだ。
だからこそ──アンヘル君達も、知人という扱いならば交流を続けても大丈夫な筈。きっと怒られない筈。
友達という存在への憧れが強くなるけれど、でも、今は。
どんな形でも、彼等との縁を守れるだけでじゅうぶんだ。
ラフィリアの宝石眼が冷たく光ると同時に、血の気が引くのが分かる。頭で考えるよりも前に体が動き、僕はラフィリアの腕を掴んでいた。
「駄目っ! ちが、違うんだ……彼等は何も、なにも悪くない。悪いのは僕なんだ。全部全部僕が悪いんだ。馬鹿みたいに夢を見て、憧れに縋る僕が悪いんだ……っ! だから、だからお願い──アンヘル君達に、なにもしないで」
彼等は何も悪くない。それなのに、僕を助けた所為で彼等に危険が迫るなんて事、あっていい訳がない。
「夢も、憧れも……全部捨てるから。ちゃんと聖人に戻るし、もう、夢も見ないから。だから……お願いだから、彼等にだけは、手を出さないで」
物心ついた時から、聖人は泣いた事なんて無かった。何故なら聖人は普通の人間とは違うから。
泣く事も、笑う事も許されない。
感情を表に出してはいけない。欲望を抱いてはいけない。
愚痴も雑談も昼寝も遊びも何一つとして許されない。それに慣れていた筈なのに。
それなのに、僕は泣いていた。はじめて心から大事だと思った場所と、人々。それらを失い、あまつさえ傷つける事になってしまうかもしれないから。
失うのはまだいい。とても辛いけれど、元の生活に戻るだけだから。
でも、彼等が僕の所為で傷つくのは嫌だ。絶対に、それだけは阻止しなきゃいけない。
だから、僕はラフィリアに泣いて縋った。
これこそ聖人としてあるまじき行為だと知っていながらも、今の僕にはこうする事しか出来なかったから。
「ッ!」
ラフィリアが悲痛な面持ちでこちらを見下ろしてくる。
こんな顔、初めて見た。でもどうして? どうして、ラフィリアが傷ついたような表情をしているの?
「…………一晩。明日ノ朝ニハ、主ヲ連レ帰ル。分カッタ?」
「う、うん……アンヘル君達には、何もしないでいてくれるんだよね?」
僕の問にも答えぬまま、ラフィリアは黙ったまま踵を返して姿を消した。
まるで、アンヘル君達の事は僕次第だ、とでも言うかのように……。
♢♢
あんな顔が見たくて、捜し出した訳じゃない。
当方はただ、主に早く戻って来て欲しくて……当方の傍にいて欲しくて、一ヶ月近く世界中を飛び回って主を捜し出したのに。
「──当方ガ、主ニ涙ヲ流サセタ。他ナラヌ当方ガ、主ヲ凡人ニシタ」
主を守ろうとしたのに、傷つけてしまった。
何故? 当方は神の言葉に従い、伝統通りに動いた。
大好きな主の為に、主が傷つかず平穏無事に生きていられるように最善を尽くしたのに。
何故、主は凡人になってしまったんだ。
これまでは上手くいっていたのに。主は聖人として完璧に、傷つく事も悲しむ事もなく生きていたのに。
どうして。今になって突然あんな風になってしまったんだ?
「……ッ、主ノ涙ナンテ、見タクナカッタ……!」
凡人のように。子供のように。感情を剥き出しにして泣き、主は当方に縋ってきた。
聖人である主がただの人形に過ぎない当方に。そんな事、あってはならない。
でも、こんな状況の対処法など当方は知らない。
どうすれば主を聖人に戻せる? どうすれば主が傷つかないで済む? どうすれば、どうすれば──。
「当方ハ、主ノ為ニ在ル。ナラバ、モウ──……」
主の為に、国教会を変えるしかない。
主を極力傷つけずに聖人に戻す為には今の国教会は障害が多い。下心丸出しで主に接する者が多過ぎる。
そういった者達は過剰に主のやる事なす事に口を挟む。今までならそれで問題なかったけど、今の主にはそれこそ毒だ。主が心置きなく聖人に戻れるよう、当方が環境を整えておかないと。
「今ノ当方ニハ、ソレシカ出来ナイ……カラ」
全ては主の為。主の為に造られた当方は、主の平穏無事な一生の為に神の言葉をも改竄しよう。
すべては、そう。
許されない事と分かっていながらも、こんな無愛想で不出来な人形を家族と言ってくれた──……大好きな、当方の主の為に。
♢♢
翌朝、ラフィリアのくれた猶予まであと数時間もない朝食の時に、僕はアンヘル君達に別れを告げた。
それにはジオールさんもソウディガーさんも驚き、あまりにも急すぎると眉尻を下げていた。
本当は、僕だってもっとここにいたい。だけど……それは許されないから。彼等の為にも、僕は一刻も早くここを去るべきだ。
「ごめんなさい。ついに──いえ、ようやく迎えが来て。でも本当に……本当に、楽しい日々でした。素性も明かさない不義理な僕にあんなにも良くしてくれて、本当にありがとう」
なんとか笑顔を作って立ち上がり、僕は深く頭を下げた。
これで、僕の夢は終わる。これからはこうして頭を下げる事も、謝罪する事も、感謝を告げる事もなくなるんだろう。
だから最後に、精一杯の感謝を伝えたかった。
また今度、お礼に匿名で何か贈ろう。まだまだ僕は彼等に恩を返せていないから……せめて、何か彼等の役に立つものを贈らないと。
そんな事を考えながら食堂から出て、しょんぼりしているジオールさんに玄関まで見送ってもらった時だった。玄関近くの二階からアンヘル君が顔を覗かせ、
「──おい、ミカリア」
教えてない筈の僕の名前を、口にした。
「なん、で? 僕の、名前……」
「いくら俺が社交嫌いだからって舐めすぎだ。おまえの正体なんて最初から知ってたっつの。白い髪に黄色い目の聖人サマの事なんて、ここらの国の奴は誰だって知ってる。知った上で、俺はおまえの事を助けてやったんだよ」
なんで? 聖人なんて存在、君からすれば天敵以外の何者でもないのに。
「俺は死なない。吸血鬼という種族がこの世界から消えないように抑止力が働いている以上……俺が世界最後の吸血鬼である限り、俺は絶対に死なない。だから俺はおまえを助けた。おまえが俺に敵意を抱いたところで、俺にはなんの害もなかったから」
彼の言っていた『殺せない』って、そういう事……だったんだ。
でも、どうして急にそんな話を?
「だから俺達の事なんて一々気にするな。会って一ヶ月とかの俺達なんて、おまえの夢やら人生やらを賭ける程大事なものじゃないだろ! せいぜい知人止まりの俺達相手におまえ自身を犠牲にするな、虫唾が走る!!」
「ち、じん……?」
「ああそうだ。俺とおまえは友達でも仲間でもなんでもない、ただの知人だ。たまたま出会ってたまたま知り合っただけの、顔見知り。どこにでもいるような知人に過ぎないだろ。おまえは、そんな相手の為に自分を犠牲にするような馬鹿なのか? ハンっ、これだから聖職者は堅苦しくて嫌なんだ!」
友達のようだと思っていたのは僕だけだと、何度も現実を突きつけられたようで心臓が痛む。これにも慣れている筈なのに、どうしてこんなにも胸が痛いのか。
──あれ、でも。どこにでもいる知人って……事は。
アンヘル君が言わんとしている事に気づき、僕は勢いよく顔を上げた。
彼の紅い目と目が合う。鋭く冷たいけれど、どこか優しいその目に、僕はこれが都合のいい妄想なのではないと確信した。
「……──ねぇ、アンヘル君。僕達……これからも、たまにばったり出会えるかな?」
「さあな。知人なんて、思い出した時に適当に近況を聞く程度のモンだろ」
「…………そっか、そうだよね。僕達、ただの知人だもんね」
今にも涙が零れそうな瞳に力を込め、僕はもう一度笑った。
聖人は特別でなければならない。
だから凡人のように友達といった存在がいてはならないのだけど……聖人にだって、知人は存在する。
たまに顔を合わせる人。会えば軽く言葉を交わす人。信徒達だって言うなれば知人のようなものだ。
だからこそ──アンヘル君達も、知人という扱いならば交流を続けても大丈夫な筈。きっと怒られない筈。
友達という存在への憧れが強くなるけれど、でも、今は。
どんな形でも、彼等との縁を守れるだけでじゅうぶんだ。