だいたい死ぬ悲運の王女は絶対に幸せになりたい!〜努力とチートでどんな運命だって変えてみせます〜
(……男爵は、きっと、どう言っても俺の言葉を信じてくれない。本当に、心臓を刺した筈の相手が走って逃げたのに。男爵は……俺の言葉をちゃんと聞いてくれた事なんて、一度も無かった──……)

 青年は全てを諦めたように静かに目を伏せた。それはさながら、この後待ち受ける痛々しい現実から目を背けようとしているようであった。

「いいからッ、貴様はッ、我輩の命令を聞いていればいいんだ!」

 床に四つん這いになる青年の背中に執拗に叩きつけられる鞭。男は醜悪で汚らしい笑みを浮かべて何度もそれを振るった。
 バチンッ、ダンッ、ベチンッ、と音が鳴る。青年はその痛みから叫びたくなったが、必死に我慢した。
 叫べばもっと鞭を打たれる。もっとキツい躾をされてしまう。
 だから青年は耐えた。耐えて、耐えて、耐えた。涙を流し、心が壊れそうになっても。体中が悲鳴を上げても。

 貴様の望みを叶えてやるから我輩の望みを叶えろ──そんな明らかに怪しい口約束に縋り、騙され隷従の首輪を嵌められても。また心が壊れそうになるぐらい、酷い目に遭っていても。
 青年はずっとその口約束を信じていた。自分の望みがいつか叶うと信じて、耐え続けていた。
 十分程が過ぎ、満足した男は「次は失敗するなよ」と言い残して自室に戻った。残され青年は痛みを我慢しながら、ふらつく体で自身もまた、与えられた部屋に戻った。
 なんとか服を脱ぎ、まだ痛みがジンジンと残る背中に手を回すと……彼の手には僅かに血が付着した。月明かりに照らされたそれは、青年の眼によく映る。

「……っ、痛い。痛いよ……エル……っ!」

 青年の瞳から涙が溢れ出す。それと同時に彼の口から飛び出たのはずっと我慢していた言葉、そして──彼を突き動かすたった一つの名。

「……にいちゃんは、いつになったらお前を……見つけてやれるのかな………会いたいよ、エル……」

 まるで幼い子供のように涙を流し、寝台《ベッド》の上で何かに怯えるように体を丸く、縮こまらせて青年は独り言をこぼす。
 色の無い世界に生きる彼が、"赤"以外の色を失った原因たる少年──それが、彼の弟のエルであった。本名をエルハルトと言い、九年程前に生き別れて以来ずっと青年が探し続けている存在。
 青年と同じ黒髪に、青年より濃い灰色の瞳。顔立ちもよく似た三つ歳下の可愛い弟。
 彼は生き別れの弟を探し出す為に、自分の心を壊しかけてまであの男に従っていた。そう、全ては──たった一人の家族に会いたいが為に。

 青年の名はアルベルト。生まれつき色覚の魔眼というものを持ち、全ての生物の感情や状態を色で視る事の出来る少年だった。
 生まれはハミルディーヒ王国との国境にほど近い小さな村。異質そのものとも言える魔眼を持って生まれたにも関わらず、それを受け入れた優しい両親と可愛い弟に囲まれてささやかながらも幸せに暮らしていた、ごく普通の少年。

 しかしその幸せはある日突然壊された。野盗達によって村が襲われた。家々は焼かれ、男衆は皆殺し。女子供は野盗達にいいように弄ばれた。
 そんな中で、人々の感情が色として視えるアルベルトは、その眼に映る夥しいまでの負の感情の情報量に頭が狂いそうになった。
 恐怖、憎悪、悲哀、憤怒、絶望……それらがおどろおどろしい色となり混ざりあってアルベルトの眼に映る。

 ただでさえ眼前に広がる地獄のような光景に心が蝕まれているのに、色覚と言う独自の情報源からその頭までもを蝕まれたアルベルトは…………他の者達よりも遥かに酷く苦しんでいた。
 狂いそうな程痛む心と頭に、アルベルトは何も出来ず苦しんでいた。もう後僅かでも負荷がかかれば壊れてしまいそうな、そんな寸前の状態にまで至っていた。
 そこに最後の追い討ちがかけられる。

『やめろ! 兄ちゃんに手を出すな!!』

 当時まだ九歳とか八歳であった(エルハルト)が、アルベルトを庇い野盗の攻撃を受けた。自分が守るべきだったその存在より溢れ出す真っ赤な血。
 それを強く、鮮明に見てしまったアルベルトはその瞬間。

『あ……エ、ル──』

 発狂してしまった。静かに、狂うように壊れた。
 彼の色鮮やかであった視界から色が喪われ、白と黒の二色に染まる。だが一つだけ、まるで目を逸らす事を許さないとばかりに鮮明に移るは、最愛の弟が流した真っ赤な血──。
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