彼はB専?!
「だから俺を切り捨てないで」
和木坂課長から幸田ミチルに連絡が来たのは、その夜から3日後のことだった。



(今度の日曜日にどこか遊びに行かないか?)



(行きたいところある?)



幸田ミチルとして和木坂課長と会うのは本当にこれで最後・・・。

だったら一番行きたいところへ行って、最高の思い出を作りたい。



(じゃあ、動物園に行きたいです!)




日曜日。

私は再び幸田ミチルになるため、鏡の前にずらりと化粧品を並べた。

アイブロウにアイシャドウにピンクのチーク。

えっと・・・何をどう使ったっけ?

前回はその場のノリでメイクしたから、記憶がおぼろげで、なにをどう使ったか忘れてしまった。

どうしよう、どうしよう。

幸田ミチルのメイクをしなきゃ駄目なのに。

肌色の血色を良くして、太眉メイクをして、チークを塗って・・・。

私は前回のメイクを思い出しながら、化粧品で顔を塗りたくっていった。

「・・・・・・ふぅ。たしかこんなカンジだったと思うんだけど。」

鏡に映るミチルメイクを眺めるも、前と同じだったか正直自信ない。

「いや、やっぱりここはこうだったような・・・」

「うーん。なんか違う。」

「も、いい!これで行く!」

試行錯誤したけれど、なんだか前よりヒドイことになっているように思えるのは、気のせいだろうか?

けれど度の強い眼鏡をかけてしまえば、それっぽくなるに違いないと信じ込むことにした。

今日は長い髪をポニーテールにして、お気に入りのチェックのワンピースに駱駝色のランドセル風リュックサックを背負う。

今日は動物たちもさることながら、和木坂課長の写真を沢山撮ろうと思っている。

だって、和木坂課長のプライベートな姿を見れるのは、今日で最後。

だったら色んな和木坂課長の姿を写真に閉じ込めて、今日の大切な思い出として一生の宝にしたい。






太陽は高く昇り、その日差しは強かったけれど、秋風がひんやりと吹き抜けて涼しく、絶好のお出かけ日和だった。

待ち合わせ場所は上野動物園の正門前。

JR上野駅の公園口を出て、約束の場所まで人込みをかき分けながら小走りする。

電車の乗り換えが上手くいかなくて、結局時間ギリギリになってしまった。

東京の電車の乗り継ぎはちょっとしたダンジョンだ。

いつもなら手を差し出すポケットテッシュ配りのお兄さんに、ゴメンナサイのポーズを取って通り過ぎた。

スマホで時間を確認すると、約束した時間の10分前。

息を切らしながら和木坂課長の姿をキョロキョロと探すと、入り口の一番右端の壁にもたれて、文庫本を読みながら私を待っていた。

白い長そでシャツにジーパンというシンプルな服装なのに、一段と格好いい。

本当にあの人が私を待っていてくれているのかと心配になる。

しばらくじっと遠くから眺めていると、和木坂課長が私を見つけ大きく手を振ってくれた。

「スミマセン!お待たせしました!」

私が小走りで駆け寄ると、和木坂課長は満面の笑みで私を迎えてくれた。

「謝らなくていいよ。俺が早く着き過ぎただけだから。」

そう言ったあと、和木坂課長は私の顔をまじまじと見た。

「なんか今日のミチルちゃん、この前と顔の雰囲気が違うね。」

「え?そ、そうですか?化粧品変えたからかな?」

もしかしてこの前と化粧の仕方が違った?

「でも今日も可愛いよ。」

「あっありがとうございます。」

ほんとに?この顔が?・・・やっぱり和木坂課長はB専なのかもしれない。

「何を読んでいたんですか?」

和木坂課長が今さっきまで読んでいた文庫本には、書店名の入った紙のブックカバーがかけられていた。

「ん?これ。」

和木坂課長は一番初めのページをめくって見せてくれた。

そこには沢木耕太郎著の『深夜特急』と書かれてあった。

「このシリーズが好きなんだ。自分も一緒に世界を旅しているような気持ちになる。」

「旅行がお好きなんですね。」

「ああ。学生の時は国内外、色んな所へ行ったよ。今は忙しくてなかなか行けないけどね。」

和木坂課長、ほんとに旅が好きなんだな。

こんなことすら、職場で見ているだけだったら、知ることは出来なかった。

和木坂課長は文庫本を黒いショルダーバッグに入れると、上野動物園のゲートへ向かって歩き出した。

「さ、行こうか。」

「はい!」




園内に入ると休日だからか家族連れの客が多く、かなり混みあっていた。

秋空が高く、涼しい風がポニーテールの黒髪をなびかせる。

「今日も撮る気満々だな。」

私の首にはねこんかつの時と同じように、一眼レフのカメラが掛けられていた。

「はい。動物が好きなんです。小学生の時に飼育委員会に入って、うさぎの世話をしたのがきっかけで。実家には柴犬とセキセイインコとアカミミガメがいます。」

「俺も動物は好きな方かな。猫しか飼ったことがないけど。」

私達は順路に沿って動物たちを見学していった。

ぞう、クマ、猿山、バードハウス・・・。

久しぶりの動物園に私の心は浮足立っていた。

動物たちの何気ない動きや表情が可愛くてたまらない。

しかも隣にはずっと憧れていた和木坂課長がいる。

ドキドキするのに心がポカポカして、何故だか安心する。

まるで夢をみているみたい。

そうこれは夢なんだ。

いつかは覚めてしまう夢・・・。

そうだ!和木坂課長の写真、撮らなきゃ。

私は不意打ちに和木坂課長の横顔にカメラを向けた。

気配に気づいた和木坂課長は、ニヤリと笑いながら言った。

「俺の写真撮って、どうすんの?」

「あ、えっと・・・」

「寝る前に眺めるとか?」

「今日の記念です!」

「ふーん。そっか。記念ならふたりで撮ってもらおうか。」

丁度通りすがったヒョウ柄の服を着た中年女性に、和木坂課長は声をかけた。

「すみません。写真撮って頂けませんか?」

「はいはい。お安い御用やさかい。」

関西弁を使った気のいい中年女性は、和木坂課長のスマホを受け取ると、私達に焦点を合わせた。

「ほら。もっとくっつかなあかんで~。はい、チーズ!」

中年女性は和木坂課長にスマホを返すと、持っていた手提げ袋から飴玉を取り出した。

「ほら。飴ちゃん、あげるわ。」

「ありがとうございます!」

私と和木坂課長は同時にそう言った。

「お姉ちゃん、男前な彼氏やな?しっかりと掴まえとかんとあかんで!」

「は、はい。」

中年女性は私の背中を二回叩くと、意味深な笑みを浮かべ私達の元から離れて行った。

和木坂課長のスマホに写った写真を確認すると、可愛いアザラシを背景に肩を寄り添うふたりの姿がそこにはあった。

「この写真、あとでラインに送るよ。」

「は、はい。ありがとうございます。」

これが私と和木坂課長ふたりで写った最初で最後の写真なのかな・・・そう思うと切なくなった。




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