大好きな人とお別れしたのは、冬の朝でした
詩織が告げた場所に、瞬はまっすぐ車を走らせているようだ。
高価なスポーツカーらしいが、やけにゆっくりした運転だ。
首都高速でも追い越していく車から見られているようで落ち着かない。
環八を下りて、詩織の暮らしている賃貸マンションまではあっという間だ。
「ありがとうございました」
瞬がエンジンを止めたので、詩織は送ってもらったお礼を口にする。
降りようとしたら、瞬がいきなり詩織を呼び止めた。
「あ、ちょっと待って。降りる前に俺が言う番号に電話して」
「は、はい」
急用かと思った詩織は慌ててスマートフォンを出して、瞬が言う番号に電話をかける。
ほどなく、車内で着信音が鳴った。
瞬がスマホを手にし、電話を切る。
「これが君の番号か。じゃあ、さっきの俺のも登録しておいて」
「あ!」
やられたと思ったが、もう遅い。美味しい食事と楽しい会話に浮かれていた自分の失態だ。
「また連絡する」
「は、はい」
詩織は姉の恋人と『また』なんてないのにと思いながら車から降りる。
瞬は再びエンジンをかけて滑るように詩織から離れていった。
詩織はテールランプが見えなくなるまで、ぼんやりと赤い車を見送った。
これが恋人とのデートなら、『コーヒーでも』と部屋に誘うのだろう。
(とんでもないわ)
脳内でイメージした甘い場面を、詩織は慌てて打ち消した。
姉の恋人と、これ以上は関わり合いたくなかった。