大好きな人とお別れしたのは、冬の朝でした


「その話の前に、食事に行こう。仕事帰りに来てもらったからな」
「え、でも」

リハビリの話をするのかと思っていたら食事に誘われてしまった。
詩織は戸惑ってしまう。いつも瞬の話は思いがけない方向にコロコロと転がっていく。

「そうだ。うちの家政婦の手料理でもいいか?」

「あの、私は……」

詩織の話を聞いていないのか、瞬はさっさと階段を下りていく。
彼が駐車場に停めていたのは、いつかの真っ赤なスポーツカーでなくて地味なセダンだった。
ロックを解除しながら、詩織に説明してくれる。

「いつもはこの車に乗っている。あれは特別な時だけだ」

「特別……」

自分と会うのが特別だったのかと、一瞬詩織は舞い上がってしまった。

(いやいや、それはないわ)

瞬にとっての特別は、たぶん彩絵のはず。
彩絵の代理で乗せてもらえただけなんだと、詩織は自分に言いきかせる。

「乗って」
「は、はい」

シンプルな黒のセダンは、高級感あふれる内装だった。
黒革のシートはなめらかで、しっとりと身体を包んでくれる。

(ぶっきら棒だし、人の話はあまり聞いてくれないけど……気遣いのできる人なんだ)

会うたびに沖田瞬の違う一面に触れるようで、詩織の胸は高鳴っていた。
彩絵の存在をつい忘れてしまうくらいに、瞬の存在は詩織の中で大きくなっていく。

(好きになってはいけない人。姉の恋人だというのに困ったな)

それでも、気持ちは止められない。
詩織はただ、助手席から瞬の横顔を見つめていた。



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