大好きな人とお別れしたのは、冬の朝でした
恭介によると、先週T・ケアに彼が来て軽くトレーニングをして帰ったという。
詩織の見立てと、恭介が実際に瞬の身体の調子をチェックした結果に差はなかった。
ひとりで筋トレをしたり、痛みをこらえたりしていたから歪みがでたのだろう。
「忙しい人だから、定期的に通うのは難しいって。自宅にもトレーニングルームがあるって言うからさっそく行って見せてもらったんだ」
「え? あの家に?」
「詩織、彼の家知ってたのか?」
うっかり口から出た言葉は取り消せないが、すぐに返事ができなかった。
瞬の家に行ったことは家族にも話していないし、なにかあったと誤解されたら姉に申し訳ない。
「ええ、たまたまですが」
詩織はなんとか無難に答えたが、恭介は気にしていないようだ。
「すごいよ。チェストプレスとか置いてるし、今度は背筋を鍛えるのにリカンベントバイクも準備するって」
「そうなんですか」
「だから彼の都合に合わせて家でのトレーニングを請け負った。詩織に当分は行ってもらいたいんだ」
「は?」
突然の提案に、詩織は頭の中が真っ白になった。
「僕は今受け持っているので手一杯だからここから離れられないし、すぐに都合がつくトレーナーもいないんだ」
「でも、私も病院のパートがあるし姉のことも……」
これ以上、瞬とふたりで過ごすのは無理だ。
詩織の頭の中では、ピーピーと危険を知らせる警報機が鳴っている。
「そこをなんとか!」
T・ケアの経営のためにも、彼の申し出は断りにくいと恭介は言う。
沖田瞬との関係は大切なんだと懇願されて、詩織はしぶしぶ引き受けてしまった。
「誰か他のトレーナーが決まるまでの間だけですよ」
瞬のパーソナルトレーニングを担当するうえで、詩織が出せる最低限の条件だ。
恭介も納得してくれたが、詩織の気分は沈んでいた。