エリート御曹司に愛で尽くされる懐妊政略婚~今宵、私はあなたのものになる~
 名前を呼ぶ声が震える。目の前が涙でにじむ。

「菜摘」

 低く懐かしい声で名前を呼ばれると、瞳から涙が零れ落ちた。

 その瞬間ぐいっと抱き寄せられて、気が付けば彼の胸の中にいた。背中がしなるほど痛いくらい抱きしめられた。

 その痛みさえうれしく感じてしまう。彼の存在が目の前にあるというだけで、震えるような喜びが体の奥底から湧き上がってくる。

「菜摘、菜摘」

 耳元で聞く彼の切ない声に、涙を流し続けた。

「半年もかかって。加美君は恋愛の点数は落第だな」

 抱き合う大切なふたりの教え子を見た吉峰のやれやれといった態度の中からは、どこかほっとした様子が感じられた。

「いつまでもこんなところにいないで、ふたりで話をしてきなさい」

 確かにスクールには、まだ中学生や高校生が数名残っていた。冷静になって恥ずかしくなった菜摘は、吉峰の言葉に甘えその場を離れた。

 もちろん清貴も一緒だ。

「私のアパートでもいい?」

「あぁ、ゆっくり話ができるところならどこでも」

 頷いて歩き出した菜摘の手は、清貴にしっかりと握られていた。指先を絡めしっかりと握られた手は、もう二度と離さないという強い意志が感じられた。

 菜摘の住んでいるアパートは、フリースクールから徒歩十五分。三階建ての二階角部屋だ。

1Kといった造りで決して広くはないが、清潔で明るいインテリアを見た清貴は目を細めた。

「菜摘らしい部屋だな」

「そうかな……座って」

 このときになって、やっと清貴は菜摘の手を離した。

 中に入って数歩歩けばすぐにソファだ。案内するほどの広さでもないそこに、清貴を座らせるとすごく狭く感じた。

「お茶しかないけどいい?」

「あぁ、ありがとう」

 菜摘は湯を沸かしている間、清貴を盗み見た。もともとやせ型だったが、頬はよりシャープになり顔色も消していいとはいえなかった。目の周りにはクマがあり、疲労が手に取るように伝わった。

 こんな彼にしたかったわけじゃない。菜摘は改めて自分の舌事の愚かさを痛感していた。

 お茶を淹れて清貴の前に差し出す。すると彼は「ありがとう」と言って一口飲んだ。

「あぁ、うまい。この半年の間ではじめて味を感じた気がする」

「そんな……大袈裟だよ」

「大袈裟? いや、菜摘がいなくなった後の俺は死んでいたも同然だからな」

「清貴……」
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