結婚契約書に延長の条文はありませんが~御曹司は契約妻を引き留めたい~
「香津美、あの…」

無言のまま、食事を続けていると、和海の携帯がけたたましく鳴り響いた。

「お祖父様からだ」
「こんな朝早くから?」

不吉な予感がして、顔を見合わせながら和海が応答した。

「はい、そうです。いえ、香津美と家にいます」

向こうの会話は聞こえないが、和海の顔が次第に険しくなっていく。

「はい、わかりました。すぐに二人で向かいます」
「お祖父様、何て?」

通話を終えた和海に尋ねる。心臓がドキドキする。

「お祖母様が…倒れた」
「え!」

和海が青褪めてそう言う。

「今救急車で高宮総合病院へ向かっているところらしい」
「すぐ、支度します」
「ああ」

慌てて支度をし、化粧もせずに二人で飛び出した。
年末に受けた検診ではガンの転移は見られなかったと言って喜んでいたのに、何があったのか、和海も詳しくは聞けていないらしい。

土曜日の都内は渋滞していた。いつものことだろうが、焦りが募ってもどかしくなる。

自分よりきっと不安なのは和海なのに、かける言葉が見つからない。

「ごめんなさい。こんな時、何て言えばいいか」

大丈夫だ、心配ないと言えればいいが、安易なことを言っても無責任な気がする。

「いや、一緒にいてくれるだけで心強い」

ハンドルを握りながら手を伸ばしてきた和海の手を、香津美はそっと握った。


美幸は軽い心臓発作だと診断された。
香津美達が駆けつけた時、まだ処置室にいたため廊下で待っていた光太郎と合流し、その後医師の説明を受けた。

「すぐに手術の必要はありませんが、年齢も年齢ですから手術をしたとしても耐えられるかどうか。しばらくは投薬治療を行いましょう。容態が落ち着くまで暫く入院していただくことになります」
「わかりました」
「すぐに病室の手配をします。今日は土曜日なので入院の手続きは月曜日に改めてお願いします」
「本人には会えますか?」
「今は薬で眠っておられます」

処置室から点滴を付けたまま運ばれてきた美幸は、顔色が少し悪かった。
そのまま特別室へ連れて行かれたので、皆で突いていった。

「心配かけたな」

そう言う光太郎は、家用のスリッパを履いていた。
慌てて香津美が売店で外履き用のサンダルを買ってきた。

「香津美さんも、悪かったね。休みのところ申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。でも、軽い発作でよかったです。お祖父様も驚かれたでしょう」
「ありがとう。一度帰って荷物を取ってこようと思う」
「送りましょう」

和海の運転で三人で篝の実家へと向かう。

「すまないが、香津美さん、手伝ってもらえるかな。何を用意すればいいかわからないので」
「俺からも頼む」
「わかりました」

初めて入った美幸たちの部屋は、少し前に断捨離をしたと言っていたので、すっきりとしていた。
美幸は病気を患ってからいつどうなるかわからないと、入院に必用なタオルやパジャマなどを鞄に用意していた。
光太郎は知らなかったらしく、驚いていた。

「これが終活というやつだな」

リビングでお茶を飲みながらしみじみと光太郎が言った。

「そんな、まだまだお二人共お若いです」
「いや、もういい歳だ。そろそろ引退を考えていたんだが、少し早めるべきかと考えている」
「おじい様」

それを聞いて和海が身構える。

「役員会で承認が必要だが、お前が専務取締役に就任してまだ二年とは言え、実績は充分あると思う」
「それは・・仕事に自信はありますが、でもKagariホールディングスはまだまだおじい様を必要としています」
「今回は軽くて済んだが、後悔する前に、美幸との時間を大切にしたい。私の気持ちを察してくれ」

そう言われれば、それ以上何も言えなかった。
もう一度病院へ戻ると、美幸はちょうど目が覚めたところだった。
少し会話をして、病院を出たのは夕方だった。
光太郎が引退について話をすると、最初美幸もそこまでしなくてもいいと言ったが、光太郎が傍にいて二人で過ごしたいと強固に固持すると、首を縦に振った。

「また忙しくなりますね」

実際に光太郎の引退がいつになるのかわからなかったが、きっとこれまで以上に和海は忙しくなるのは容易に想像できた。
またすれ違う日々が続くのだ。

「すまない」
「悪いことをしているのではないのですから、謝らないでください。おばあ様の傍にいたいというおじい様の気持ちを大切にしてあげてください」
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