私を愛するその人は、私の向こうに別の女(ひと)を見る

Prologue 拾ったのは

「何かお探しですか?」

 大手総合商社、30階オフィス横、休憩スペース。
 自販機の並ぶ角のゴミ箱の辺りを、腰をかがめて行ったり来たりする男性に、私は声をかけた。

「え?」

 きょとん、と顔を上げた男性は、こちらに向かって爽やかスマイルを向けた。

 王子だ。

 彼が王子様みたいだ、と思ったわけではない。

 彼がこの商社で“王子”と呼ばれているからだ。

 久我(くが)瑞斗(みずと)、27歳。
 商社マンの中でも若手のエースで、イケメンで高身長。おまけに物腰は柔らかく、誰に対してもニコっと微笑む、まさに貴公子。

 彼は、清掃員である私なんかにもこうして笑顔を向ける。
 それで、商社内だけでなく清掃会社の皆も彼を“王子”と呼ぶのだ。

「うん、このくらいの、紙切れなんだけど」

 彼は私に向かって、両手の親指と人差し指で四角を作って見せた。

「あー、それ……」

「知ってるの!?」

 言いかけた私を遮って、彼は前のめりに聞いてきた。
 私は清掃用の軍手を外し、制服であるエプロンのポケットから紙を取り出した。

「これ……?」

 ですか、と言う前に、彼は私の手からその紙切れを奪う。
 そして、その二つ折りになった紙を開き、中を確認した。

「そうそう、これ! この辺で落としたと思ってたんだ! ありがとう!」

 そう言うと、彼はそれをもう一度二つに折りたたみ、胸ポケットに入れていた手帳の後ろに丁寧にしまった。
 どうやら、相当大切なものらしい。

「お役に立てて良かったです」

 愛想笑いで返すと、彼は足取り軽くオフィスへ戻っていく。

 王子にも、大切なものがある。

 そんなことを、ふと思った。

 あの紙に書いてあったのは、“大好き”という文字。それも、可愛らしい女性の文字だった。

 ああいう人に愛される人は、さぞ幸せな人生を歩むのだろうな、などと、私は別世界の人間の生活に思いを馳せた。
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