私を愛するその人は、私の向こうに別の女(ひと)を見る

1 お礼

「お疲れ、紗佳(さやか)ちゃん」

 商社の地下1階、物置のような場所に私たちのオフィスがある。もっとも、オフィスと言ってもロッカーと更衣室があるだけだが。
 清掃会社から派遣されてこの企業にお邪魔しているので、別に文句はない。
 ここは上の階のキラキラした雰囲気とは違いアットホームな感じだ。
 むしろ、私には居心地がいい。

「あ、なかむーさんお疲れさまです!」

 なかむーさんは私の先輩で、大ベテランの48歳。私と同じ22歳のお子さんがいらっしゃるらしく、何かと気にかけてくれる温かいお母さんみたいな人だ。

「午後9時退勤、ねぇ。深夜代出るからとはいえ、女の子にこんな時間まで働かせるなんて」

「いえ、私は……」

 着替えながら、愚痴を零すなかむーさんに、苦笑いをした。

「オバサンはもう眠いわよ〜。大体、この会社の人たち、何で定時で帰らないの? ……何とかならないのかしら」

 ハハっと豪快に笑うなかむーさんを見ていると、何だか今日の疲れもどっと飛んでいくようだ。
 今日の愚痴をこぼし合いながら、着替えを済ませてオフィスの外へ。

「あ……」

 先にドアを開いたなかむーさんが立ち止まって、思わずその背中にぶつかってしまった。

「あずきざわ、さん……いますか?」

 この声。間違いない。

「王子!」

 と叫んだのはなかむーさんだった。

「あ、ごめんなさいね。びっくりしちゃって」

 なかむーさんはそのまま外へ出る。
 するとそのまま、「ご、ごゆっくり〜」なんて挙動不審なまま去って行ってしまった。

「ちょ、なかむーさん……」

 取り残された私。眼の前には、王子。

「良かった、あずきざわさんだ」

 ニコっと爽やかスマイルを私に向ける彼。薄暗い地下の通路で、それはいっそう輝いて見える。

「えっと……小豆沢(あずさわ)、です」

 その笑顔が眩しくてうつむき答えると、「わわわ、ごめん!」と頭の上から聞こえた。

「名札、漢字だけだったから……本当ごめん、人の名前間違えるなんて! 改めて、えっと……小豆沢さん、」

 彼は顔を上げた私に、ニコっともう一度爽やかスマイルを向ける。それで、私はまた俯いてしまった。
< 3 / 37 >

この作品をシェア

pagetop