風呂の湯に撃沈

【沙由紀 春よ来い】パパの気持ち


    パパの気持ち

ぼんやりと何かを考えていたんだと思うんだけど、そっと家のドアを開けると忘れちゃったの。
だって、パパの声が聞こえていたから。
小さな声で、誰かに話しかけている。

入り口に立ったまま、耳を澄ましてみた。
パパはママの仏壇に話しかけているみたい。

「沙友紀が結婚だなんてなぁ。もうそんな年になったんだな、俺も年取るわけだ。ママはいいなぁ、いつまでも若いときのまんまだものな。俺たちが結婚しようって決めたのは、もっと早かったかもしれないよね。あっという間だったなぁ、沙友紀が生まれて葉月が生まれて、そして君と別れちゃうなんてなぁ。そんなこと考えてもいなかったよ」

 だめだ、わたしの涙腺こわれているみたいよ、涙があふれちゃう。
 ごめんね、パパ。

「かっちゃんの息子さんだそうだ。かっちゃんと今日久々に会ったよ。あいつも年取っちゃってなぁ、白髪がめだってきたんだぜ、想像できないだろ?あいつんとこもいろいろあったらしくてな。『エーデルワイス』継ぐって息子が言い出したときはびっくりしたって。かっちゃんは料理なんてできないし好きじゃないから店はたたもうって話になっていたらしいよ。でもなかなかしっかりしているみたいで経営学も勉強したり下準備から教わって(俺が継ぐから)って啖呵きったらしいよ。骨のあるやつみたいで、かっちゃんも息子ながら見直したとかって言うんだぜ。そんなりっぱな息子がいるなんてなぁ、びっくりだろ?」

 そうなんだ、そんな事聞いたりしたことなかった。

「でもさ、父親としては大賛成なんてできなくてなぁ、むしろ大反対しちゃったんだよ、俺。沙友紀になんて言っていいかわからないよ」

 涙腺が溢れないうちに、夜なのに大きな声を上げた。
「ただいま~」

 パパは静かになって
「おかえり」とだけ言った。

 泣いていた顔を見られたくなくてすぐにシャワーを浴びたの。
 出てきたらパパはもう自分の部屋で寝ているみたいだった。

今日は、いろんな人の気持ちがわかる日なのかもね。
自分の気持ちの深いとことも、わかったような気がしていた。

ベランダのクロッカスはまだまだ小さなつぼみだけど、北風に揺れても一生懸命立っているように見えた。

自分の姿みたいで(がんばるんだよ!)とつぶやいてベッドに入る。

長い一日はわたしの身体を深く深く沈めていった。


翌日は天気の良い朝で、日差しが暖かくて身体中を目いっぱい伸ばしてみた。

久々の小春日和って感じで雲もなく青い空が気持ち良い。
心の中まですきとおるみたいだ。

大学に行って友だちに辞める事とか、結婚の事とか話してびっくりさせたのは天気のせいかもしれないな。

 始めはびっくりしていた友だちも、いろんな事話すうちに(がんばってね)って応援してくれたのは心強い味方。

春になったら、送別会アンド彼氏お披露目パーティをしてくれるって、ちょっと恥ずかしいけどサトにい来てくれるかな。

 そして大好きな久我先生にも、大学を辞める事を話した。

「そうか、椎名くんにはいろいろ資料作りとか手伝ってもらったし残念だが仕方ないな。ニッキーががっかりするだろうね。まあ、彼はなんだか銭湯が気に入っているらしいけどね。銭湯に行けば君に会えると思っているみたいだし」

そういえばニッキーは、この間変な事を言ってなかったっけ?
なんだったかな、思い出せないけど。


 その日のキャンパスは、春みたいにぽかぽかだったから、寒い北風が吹くことなんか考えられなかったんだけどね。

夕食の後片付けを葉月が手伝ってくれた。
一緒に洗いものをしているとパパがお風呂に立った。

「ねぇねぇ!小さい頃みたいに一緒にお風呂に入っちゃおうよ!」
 最後のお皿を洗うと葉月がにやりと笑ったの、いたずらっぽい顔して葉月ったらかわいい。

  が家のお風呂は、普通のマンションのお風呂より幾分大きくできている。
お風呂屋さんの息子のパパは狭いお風呂じゃ入った気がしないなんて言って選んだんだとか。
ママは『夢の湯』に行くのが好きだったんだけどね。パパはお仕事が遅い日もあるからね。

でも、わたしも葉月もやせているとは言え、おとな三人はきついわよねぇ。
「はいるよぉ~」
と言って飛び込んだ裸の葉月にびっくりしていた湯ぶねのパパの顔ったらなかった。
あげく、わたしまではいってきちゃったんだものね。
卒倒しちゃいそうなくらい驚いていたっけ。

昨日のパパの独り言を思い出して、ぶくぶくに泡を立てながらパパの背中をわたしが洗う。
そのわたしの背中を葉月が湯ぶねの中から洗うとお風呂の中じゅうが泡でいっぱいになっちゃった。
湯ぶねは泡のお風呂になっちゃったし壁にもたくさん泡がついちゃって真っ白な泡の中、なにがなんだかわからないけど、楽しかった。

 小さい頃に戻ったようだったの。
 ぶくぶく泡を立ててはいるのが好きだったちっちゃい葉月、パパはわたしの頭も泡でいっぱいにして笑っていたっけ。
そんな昔に戻った気がする。
お風呂の外では、バスタオルを用意して待っているママがいた。

今、ママはいないけどわたし達は家族だ。
三人になっちゃったけど、大好きな家族だもんね。

「ごめん、パパ、はづき、わたし一人でいろんな事決めちゃって、ごめんね」
 泡の中に涙がこぼれた。
「ばっかじゃないの~、自分の幸せ考えなくちゃだめだよ。今までたくさんあたしたちの事ばっか考えてたんだもんね、おねえちゃんは」
「そうさ、何言ってるんだ。沙友紀が幸せにならなきゃパパが困るよ」
 パパのあったかい言葉に、よけい涙が出ちゃった。

 パパはようやくお湯をたして泡のなくなった湯ぶねに入って背中を向けた。
「パパ、ありがとう。パパの娘で良かったわ」
 そう言ってわたしはシャワーをあびて飛び出した。これ以上入っていると、涙がとまらなくなっちゃうから。
「パパなんか、嫌いだけどすっごくすっごく大切なんだからね!まだまだ葉月がいるからがんばってよね」
 葉月も一緒に飛び出したきた。
「子どものくせに、二人とも!」
 パパは一人で湯ぶねにもぐった。

その日、パパはのぼせた顔して出てきた。
葉月はパパの顔をみると大きな声で笑った。
転げるように笑う元気な、子どもの頃みたいな葉月。
困った顔して苦笑いのパパ。
二人を見て、大好きだなって心の底から思っちゃったわたし。
冬の合間の暖かい一日だった。クロッカスのつぼみも少し膨らんだかもね。


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